尾道

2014年の5月に、今治からしまなみ海道の6つの島を通って尾道へ行った。約70kmの道のりを自転車で旅行した。

5月1日。8時に起きた。出がけに母が1万円持たせてくれた。自転車置き場の係員に駐輪代300円渡し、9時の電車に乗る。途中の吹田駅で、中学の同級生が駅の整理をしていた。隣の車両に大学の先輩が乗っているのに気付いた。去年、仕事で天王寺に通勤していたとき、先輩と同じ電車だった。同じ時間の電車に乗ったらしく、東淀川駅から派手な格好をした女の人が乗ってくるところまで去年と同じだった。新大阪駅で乗り換え、9時29分の新幹線で岡山に。新幹線の中で、さっき見かけましたよ、と先輩に報告した。岡山駅から特急しおかぜに乗車。隣に女性の団体が乗って、海外旅行の話をしていた。岡山と四国を結ぶ瀬戸大橋を渡っているときの海は深いのと同じくらいあざやかな緑色で、橋を渡り終えると陽の光が差して明るい青色になった。今治駅で下りる。

観光案内所でもらった地図を見ながらレンタサイクル場へ行くと、おじさんが受付で、おばさんが自転車置き場を案内していた。シティサイクルもあったが、おじさんから奨められたクロスバイクに乗ってみることにした。参加費を払って、スタート地点まで自転車を押して行く。おばさんが途中まで送ってくれることになり、一緒のタイミングで来たインドネシア人と喋っている。「あんたらの友達きとったよ」「何て名前?」「英語じゃけ分からん」

道路に青い導線が引いてあって尾道までの距離が書いてある。これを辿っていけば正しい道で行けるよと言って、おばさんは帰った。道を外れて光屋という店で特製ラーメンを食べる。久留米ラーメン今治ラーメンという塩ラーメンもメニューにあった。店を出て道が分からなくなったので、一度今治駅に戻った。しばらくしてさっきの場所とは別に青色の線を見つけたので、そこからクロスバイクを漕ぎ出した。14時だった。開けた景色に瀬戸内海の風が吹いてくる。f:id:columbia6421:20230904112258j:image橋の通行チケット綴りが売っている場所を見逃したが、下ってきた道が楽だった分、上り直すのは気が進まない。そこが唯一の売り場だったので、今後、橋を渡るときは現金で払うことになった。料金所は無人で、50〜200円の通行料を箱に入れる。最初の来島海峡大橋では200円払った。来島海峡大橋は第一大橋〜第三大橋で構成される約4kmの吊り橋で、今治と大島を繋いでいる。見晴らしがよく道もきれいで、漕いでいて楽しかった。橋を渡り終えて大島に入る前に、調べておいた2軒の民宿に電話したが両方とも満室だった。焦りながらも下り坂を走っていると、快適さでそのことを忘れてしまう。f:id:columbia6421:20230904123632j:image大島の道の駅で、はっさくミックスソフトを食べた。橋を渡る度に小銭を用意しなければいけないのが面倒だった。皇船荘(みふねそう)という民宿に部屋の空きが見つかった。電話口で女の人が「もしもし」と言いかけて、「皇船荘です」と訂正した。私が「ひとり用の部屋は空いてますか」と聞くと「いいよぉ」と言う。話し方が優しかった。クロスバイクのフレームに取り付けられたドリンクホルダーに、ペットボトルを入れる。

大島から伯方島までは上り坂が多い区間で、立ち漕ぎに失敗して何度か転びそうになった。本格的な格好をしたクロスバイクの人に抜かされシティサイクルの人にも抜かされて、ずっと自転車で通学していたけれど自分は速くないんだと思った。藤や山吹の花が無作為にたくさん咲いている。海に小さい舟が何艘か浮かんでいた。伯方橋から大三島に入る。行き先から外れたところに、水曜どうでしょうで見たことのあった多々羅温泉(たたらおんせん)がある。入ってみたいが民宿に着くのが遅いと夕飯がなくなるかもしれないので、外観だけ見て行くことにした。f:id:columbia6421:20230903234534j:image18時半、多々羅大橋の途中にある愛媛と広島の県境を越えた。橋の歩道上で大きな音を鳴らすと、音が主塔部分を反響しながら上に向かって登っていくように聞こえる「鳴き龍」と呼ばれる現象が起こる。大きな音を打ち鳴らせるように、拍子木のようなものが置いてあった。鳴らしてみると、カッカッカッカッとディレイを掛けたような音がした。橋を渡り終えて生口島(いくちじま)に入ると日が落ちかけていた。f:id:columbia6421:20230903224438j:image皇船荘の方向を間違えて島の反対側に2キロ走ってしまい、ようやく到着した民宿の塀にキティちゃんとドラえもんの絵が描いてあって気が抜けた。チャイムを鳴らすと、髪の短いおばさんと帽子をかぶったおじさんが迎えてくれた。おじさんの帽子から、ふわふわとした髪の毛が出ている。自転車適当に止めといて、と言うので門の前に止めて、ダイヤルロックをかける。玄関にモンゴル800のサインが2枚あった。おばさんから、ご飯準備してるからすぐお風呂入ってと言われたので部屋に荷物を置き、急いで脱衣所に行った。服を脱いでいると戸が開きかけたので、とっさに押さえた。おじさんが「あれ、先風呂入ってんの?」と言う。「おばさんが先入りって言ったんで」と言う。憚りながらもぴしゃりと戸を閉める感じが、祖父母と住んでいたときみたいだった。浴室を広く改築してあって、脱衣所も2〜3人分が着替えられるスペースがある。汗をかいたので風呂に浸かる前に体をよく洗う。浴槽は足を延ばせるぐらいの広さだった。瀬戸内名産のレモンが浮かんでいて良い香りがした。レモン風呂の中で三角座りになって、ふくらはぎを触った。

宿の規模から想像したより広い食堂には他の客が既にいて、食べたり飲んだりしている。NHKのドラマが流れていた。食卓には貝や大きいエビ、鯛のお刺身が皿一杯に盛られている。煮魚、鯛の塩焼き、貝のバター焼、エビの煮物、揚げ出し豆腐、酢の物、タケノコとイカの煮物。これがひとり分で、お腹は空いていたけれど食べ切れるか不安になるほどだった。ご飯と味噌汁はお替わり自由。必死になって魚料理を食べる。味噌汁にまで魚が入っていた。ビールも飲もうと思ったが、瓶しかないというので止めておいた。喉が乾いて水を何杯も飲む。机に置いてある大学ノートはゲストブックとして使っているみたいだった。食べ終わって調理場の前を通ると男性の従業員がいた。ひと目見て、漁師をしている人だと思った。「お腹一杯なった?」と聞かれて、めっちゃおいしかったですと答えた。何気なく、自分の感想をちゃんと言えた。いい感じだったな、と自分の言い方に満足して部屋に戻った。疲れもあったので普段より早い22時に寝ることにした。夜中に蚊の羽音で起きて、そのあと断続的に目を覚ました。次来るとしたらベイプを持って来ようと思う。

 

5月2日。8時に起床して下に降りると朝食が用意されていた。昨晩に比べると簡単なものだったが、やはり海の町で、味噌汁に鯛が入っていた。鯛を3匹は食べたと思う。『花子とアン』が放送していた。おじさんがノートを持ってきて、これに名前と住所書いといてと言う。昨夜見て自分も書きたくなったから、ボールペンを持って来ていた。2階の本棚には宿泊客が置いて行った本が並んでいる。『極めてかもしだ』という山本直樹の漫画と、少年マガジンを部屋で読んだ。布団を畳んでおばさん2人とおじさんに挨拶し、7500円払った。玄関に旭日章が飾られていて、有名な宿だったのかなと思う。帽子のおじさんが小指を立てて今度はこれと来なよと言った。髪の長いおばさんがお土産にレモンとシトラスのケーキを持たせてくれた。調理場にいたおじさんは漁に出たのかもしれない。f:id:columbia6421:20230903230241j:image9時に平山郁夫美術館へ向かう。自転車を漕ぐとお尻に痛みを感じるようになってきた。入館料は900円。受付で鞄を預かってもらう。画家の平山郁夫の生涯についての説明や、しまなみ海道、日本の世界遺産が描かれた作品が数多く展示されていた。夜の厳島神社の絵に使われている色が、瀬戸内海を反射した夜空をそのまま写し取ったみたいだ、と思った。館内のオアシスという喫茶店でレモンジュースを飲みながら、店に置いてある『お釈迦さまの生涯』という平山の挿絵入りの本を読んだ。生老病死。老人・病人・死人・修行僧を目撃してシッダールタは家を出た。生の苦のことを考えていたら、他の3つも分からなくなった。「私のことばを灯にし自分自身をたよりにしなさい」という言葉があったと記憶している。

耕三寺(こうさんじ)に行き、外から写真を撮った。境内には日光東照宮や、平等院鳳凰堂など歴史的な建造物を模した堂塔が数多くある。中に入らなかったので京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模した山門と、その内側の、法隆寺西院伽藍の楼門を模した中門だけが確認できた。寺社に詳しい人は建造物の並び方や組み合わせが面白く感じるかもしれない。外のドルチェというアイス屋でレモンシャーベットソフトを買って食べる。テレビで見た蛸処憩(たこどころいこい)というたこ料理の店があったが、11時で昼食には少し時間が早いので行かなかった。生口橋を目指して漕いでいると「尾道まで30キロ」の標識があった。もうちょっとなんだ、と思う。平坦な道と下りが多く順調に進んでいる。

生口橋を渡り終えると因島に入る。ポルノグラフティの2人が出身ということしか知らない。学校の前を通ったときに、「ベルリン映画祭短編部門ノミネート◯◯君」というのぼりが出ていた。因島フラワーパークという公園に飲食用のスペースがあり、皇船荘で頂いたケーキをここで食べようと思った。自販機で買ったアイスレモンティを飲みながら食べる。すごくおいしかった。アコースティックギターを抱えた2人の男の人がいた。藤棚の下に座って、ビートルズのラヴ・ミー・ドゥやアンド・アイ・ラヴ・ハーを演奏していた。遠足に来ていた小学生が、何その曲〜!知らん!などと茶々を入れている。紅白帽をかぶった子ども達が傾斜のある芝生を転がったり大なわをして遊んでいる。演奏が終わって小学生達も帰った後、園内を一周してフラワーパークを出た。誕生花を紹介するコーナーがあった。私のは「かきつばた」で「きっと幸福になる」という花言葉だった。公園に来てから1時間経っている。

因島大橋が見えた。次の向島からゴールの尾道へは渡船なので、橋はここで最後になる。通行料の50円を崩し忘れたので、近くのパーキングエリアに寄ってレモン味のスポーツドリンクを買う。ここでは車道の下を走る。これまでは自動車道の隣で、景色を見ながら自転車を漕ぐのが楽しかったのだが、走り出してみると周りが全て橋の骨組みになっておもしろかった。f:id:columbia6421:20230904162000j:image向島街宣車と遭遇して、現実感に引っ張られる。ゴールまで降りずに走りたいと思って、これまでは下りていた登り坂も立ちこぎした。ゴールまで2kmのところで大正4年創業の住田製パン所というパン屋があって、自転車を下りてしまった。つぶあんパン、コロッケドッグ、牛乳を買って食べる。船着場には、特にゴールのようなものは用意されていなかった。尾道から今治へ自転車で向かう人には、ここがスタート地点になる。船を運転する男性とお客さんが親しく話していた。船は2~3分で尾道に着いた。15時半。クロスバイクを漕ぎ始めたのが前日の14時だから、丸一日ぐらいの自転車旅行だった。f:id:columbia6421:20230904141239j:imageレンタサイクルを返して、ビュウホテルセイザンというホテルを予約した。日本人とタイ人の夫婦が開いたホテルで、尾道の坂の上に建っている。チェックインの17時まで時間があった。シネマ尾道という映画館で、『麦子さんと』『シェルブールの雨傘』が上映されていた。旅行先で興味のある映画がやっているのは心強かった。駅の近くに本屋を2軒見つけて、バーの上で営業している方の本屋に入った。1階のバーに荷物を預ける。本棚にラベルシールが貼ってあって、「値段は裏表紙をはぐったところにあります」とおそらく広島の方言で書かれていた。17時になったのでホテルへ向かう。坂の街と聞いていたが、想像以上の傾斜だった。しまなみ海道では見かけなかったが、尾道では猫をたくさん見た。段差のある道で器用に寝そべっている。リラックスした猫の姿から尾道に住む人の普段の様子が想像できる気がした。こういうところを観光しに来たのかもしれない。

ホテルの受付はタイ人の女性だった。なぜか、地声で話したい気になった。接客の仕事をしばらくやっていたからか、本来の声で話すことが少なくなった。よそ行きの声で話すことが増えて、地声で喋る人や歌う人に好意的になった。夕飯をタイ風の炒め物にするかグリーンカレーにするか聞かれ、追加料金を払って両方頼むことにした。タイ料理には昔、父が作ったトムヤムクンが辛かったという記憶しかなかったが、ホテルの料理は美味しかった。メインディッシュを2種類とSPYというタイのワインカクテルを1瓶飲んだら苦しくなって、部屋で少し眠った。

20時頃、外を歩きに行く。坂を下りて、商店街でれいこう堂という店を探したが、この時間にはほとんどの店が閉まっていた。22時にホテルへ帰ろうとすると、辺りが真っ暗でよく見えなくなった。階段をうまく上れない。昼間と様子が変わったことに戸惑う。アプリで検索して、遠回りになるが階段を使わない道でホテルに帰った。勤めている会社の系列の事務所があった。f:id:columbia6421:20230904110943j:image

 

5月3日。7時に目覚めて、9時に出かけようと思っていたので、起きてすぐ歯みがきとひげそりをする。宿泊費を先に払っているので、挨拶してホテルを出る。従業員が見送ってくれた。f:id:columbia6421:20230903215832j:image千光寺を見に行くと、手前に鼓岩があった。叩くとポンポンと音が鳴ることからポンポン岩と呼ばれている。音を鳴らすための石が置いてあって、叩いてみる。岩は道から大きくはみ出ていて、転がっていかないか心配になった。参拝し、千光寺の記念スタンプをノートに押す。お参りの方法が珍しくて、お賽銭を投げた後、鐘を鳴らす代わりに手元の綱を引っ張る。ワイヤーが回り数珠がカチカチカチカチ音を立てている間にお参りをする。お願い地蔵さまという可愛らしい地蔵がたくさん供えられてあった。岩場を登ったところに権現が奉られている、くさり山という場所があった。鎖をたぐって険しい道を進んでいく中年の男女がいた。尾道には何度も来ようと思うので、この旅行ですべての観光地を回らなくてもいい。
f:id:columbia6421:20230903224645j:image千光寺山を降りる途中で、中村寛吉という人の墓を見る。アララギ派歌人。解説文にあった歌集のタイトル『しがらみ』が印象に残った。この辺りは文学のこみちと呼ばれ、尾道にゆかりのある作家の作品の一節が石に刻まれて所々に置かれている。喫茶店に文房具を販売しているスペースがあって、尾道帆布というところのペンケースを自分用に、小銭入れを母親に買った。

旅行の途中でお金が足らなくなったことがあって、残金が気になり出す。新幹線の券は買ってあるので広島までの交通費1400円さえ残れば、と計算し始めたが、それが寂しいことのように思えて止めた。喫茶店の先におのみち文学の館があり、志賀直哉の旧家が残されている。様々に展示されている作家の中で、林芙美子の名前が目に入った。東京で尾崎翠と一緒に住んでいた人だということは知っていた。尾崎翠は上京して活動していたが、あるとき精神を病んで東京から故郷の鳥取に帰った。親類がやって来て彼女を連れて帰った。その記憶があって、林芙美子の名前だけ知っていた。トイレをしに一度上へ戻って、そのあと林の『放浪記』を買った。

11時に坂を下りてシネマ尾道に入る。『麦子さんと』が11時半からだった。何かの割引きで1600円で入場できた。観るのは2回目。居酒屋で麦子は、亡くなった母親や周りの人達への不満を爆発させる。町の人はその事をたしなめたけれど、麦子の感情自体は誰も否定しなかった。13時に、しみず食堂へ。店主が自分もご飯を食べながら客と話していた。そこに入って、ラーメンといなり寿司を注文した。ファンタグレープの1.5ℓのペットボトルに入った水をコップに注いでくれたから、ぶどうの香りがかすかにする。一瞬、笑いそうになるくらい優しい味がした。ラーメンといなり寿司も素朴で、限られた場所でしか食べられない味だと思う。昨日行かなかった本屋へ行き、外の100円コーナーを見てから店内に入る。『フジ三太郎』という漫画と、平山郁夫の『生かされて、生きる』という本を買った。商店街は賑わっている。昔からやっているおもちゃ屋や、銭湯があった。f:id:columbia6421:20230903223355j:image海が見えるカフェでマンゴージュースを買った。店員の若い、歯並びに特徴のある男の人が抹茶エリーゼをお茶菓子にくれた。テラス席で本を読んだり風景を眺めたりしていたが15時50分から上映される『シェルブールの雨傘』が気になってきて、またシネマ尾道へ入った。2部の後半に寝てしまい、ラストシーンの感動がちゃんと伝わらなかった。ミュージカル映画。ガソリンスタンドの仕事が終わって恋人のところへ向かう。登場人物の感情、そしてそれを素直に表現しているのが眩しくて、逃げ出したい気持ちになる。カトリーヌドヌーヴという人の名前と顔を覚えた。

尾道駅のコインロッカーに預けておいた鞄を取り出してお土産を買い、17時54分の電車で広島駅へ向かう。あとは帰るだけだと思うと気楽になり、窓の外や電車の人の様子が自然と目に入ってくる。野球部の子が電車を下りるとき、チームメイトを慰めていた。友達に「気をつけて帰れよ」って言う子がいた。

広島駅に着き、ASSEという駅ビルに。2階の飲食店で麗ちゃんというお好み焼き屋に入ろうとしたが、すごく混んでいる。新幹線の時間があるので、席の空き始めた尾道ラーメンの店に入って唐揚げセットを注文した。平麺と細麺の2つから選べたので、平麺にした。唐揚げとご飯が先に来る。大きな唐揚げが5つ。2つでご飯一杯食べてしまえるぐらいの大きさだった。同じ尾道ラーメンでも、昼に食べたラーメンと全然ちがう味がする。隣の人がチキンラーメンみたいと言っていたが、この人も平麺にしたんだなと思った。20時に店を出てお土産を見た後、ドトールコーヒー宇治抹茶ラテのアイスを買って、待合席で飲みながら新幹線を待った。f:id:columbia6421:20230904110653j:image