祭祀絵(神戸1)


祭祀絵






 
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 6時半に目を覚ます。ピザと焼きおにぎりとピザトーストを朝食にする。カットメロンも食べる。深くまで切り込みが入っていて、実より皮の味が舌に残った。寝床で1回保身を行う。シューイチをちょっとだけ観る。放送時間延長して諄くなった。シャワーしてパピコを半分だけ食べる。ツイッター、ユーチューブに時間をかけて午前をつぶした。

 前日のカレーを食べる。さつまいもパンを口に入れて、おたま一杯分、結構多めに水を足して温めなおす。福神漬けをどっさり入れた。「ふくしんづけ」ではなく、「ふくじんづけ」と読むのを知らなかった。
家を出る気分にならない。ここでもう一つ保身を行った。流れで仮眠を図る。Aで失敗してKで成功。30分眠ることができた。

 丸刈りの子どもの頭に刺さっているシャーペンの芯を抜いてやった。泣き出して親がきた。汗を噴く。取り繕おうとしているところで目が覚める。
 
 部屋を出るとリビングに妹がいた。妹とミライモンスターを見ながら悪口を言うのが好きなのだが、きょうは機嫌が悪そう。
 パピコのもう半分を咥えてテレビを点ける。マルコポロリをやっていた。「虎上」をどうやって「まさる」と読めばいいんだよ。最近テレビの価値観との同期がうまくいかない。以前なら笑えていたところで笑えなくなった。刺激が欲しくなくて火曜サプライズが一番好きな番組だったことがあるが、自分の心情が関係していると思う。テレビに関しては、妹は自分の言うことを大体分かってくれると思うし、私も妹の言うことを分かる。つまらないの基準が似ているので一緒に観ていておもしろい。妹に好きな番組が何かと尋ねたら「ハピくるっ!」と言っていてなるほどなと思った。


 6月5日、母と妹と3人でミュージックステーションを観た。妹は帰宅するとすぐ部屋に入るのだが、この日は番組をみるべくリビング部屋にいた。
関ジャニ∞がバンド形式でライブをしている。

渋谷すばる君は歌がとてもうまい。主演映画のインタビューで態度が悪いとマスコミに叩かれていたが、それは間違っている。うまく人づきあいができないのは才能があって繊細だから仕方がないのだ」という言説をインターネットで見たことがあった。そういうのおれは絶対に認めないぞ、と私が唾飛ばし熱く語っていたのを覚えていて、妹は渋谷君がテレビに出る度に蒸し返してくる。間違ったことは言っていない。
 

 OKAMOTO'Sが出ている。若い人に人気のバンドがミュージックステーションに出演することが増えた。CDを聴いて良いと思ったのが嘘のように、多くのバンドがつまらない印象に変わってしまうというのが自分の感想だ。逆に、大していいと思わなかった歌手が、テレビで観ると案外良いと思えたりして不思議な気がする。落語をテレビで見ると寄席よりつまらなく感じるのと似ているかもしれない。テレビで映えるものが優れていて、そうでないものが劣っているという風には思わない。前提に作っているかいないかという違いがあるだけだ。
 おそらく、ファンの半分は好きなバンドがテレビに出演することに対し、なんでこんな番組に、セルアウトかよ、と拒否反応を示す。もう半分は、でも新しいファンを獲得するチャンスやないか、といってテレビ出演を肯定する。思いは様々だが反応としては大体この2つに分けられる。自分と妹は後者。
  
 ただ、たとえ物わかりの良い、テレビ肯定派のファンであっても、好きなバンドが出て、それがつまらないのを指咥えて眺めていることはできない、と思う。おとなしくしていても、バンドがすべっているとき、自分が否定されたような気になりませんか。たとえばバンドの演奏中に親が今日あったどうでもよい話をしているのは悔しくありませんか。
 自分と妹の場合はその場を何とかして盛り上げようとするので、好きなバンドが出る日は鬱陶しいくらい説明的になる。その日はOKAMOTO'Sが好きな妹が説明的になった。
 

 OKAMOTO'Sの演奏、エアロビのダンサーみたいのが沢山いたりと、うすら寒い感じでよろしくない。
 察知した妹はオカモトズのライブの実況と解説を始める。オカモトレイジが白目向いてドラム叩いていておもしろいだとか、オカモトコウキの顔が犬っぽくて可愛いだとか、そういうことを言ったりする。気持ちはわかるので、私もギターの人はオカモト何だっけ?と聞いたり、ボーカルの人はJOYに似ているねと言ったりと、自分のできる範囲で興味を持つふりをしたり助け舟を出した。 


 演奏が終了した。母はなんと言うだろう。
 母は、息子なんだから浜ちゃんの話をすればいいのにね、とだけ言った。努力は、水泡に帰した。好きな嵐が出ているときは調子を合わせてやっているというのに。
 この日はユニゾンスクエアガーデンというバンドも演奏をしていた。若い人の支持を集める(フェスとかに出ている)バンドが2つ出ていたことになる。2つというのは珍しいが、最近のミュージックステーションは若手のバンドの枠を作って定期的に出演させていく方針のようだ。
 
にやけ犬

マルコポロリを最後まで見てしまって、家を出たのは14時前だった。アンディモリの1枚目を聴き乍らJR岸辺駅まで歩いて。


 去年の秋自転車を盗まれた。初めに、サドルがなくなった。厳密にいうと、サドルの尻が触れるカバー部分だけなくなって骨組みが残った。保体の教科書で見た子宮の形とよく似ていた。立ち漕ぎで何とか使おうとしたが挫折、自転車はオブジェになった。それから数週間経って気が付くと、自転車がなくなっている。何かのコレクターだろうか。私は小学校五年生のときに買ってもらったタウン&カントリーのTシャツを二〇歳過ぎて親に捨てられるまで着ていた。自分がさじを投げたようなジャンク品でもほしい人間がいるのか、と盗まれたことに怒るより先に、不思議だという感情が来た。
 以来、意地になったようにどこへ行くのも歩く。困ることはない。歩きすぎているのか、ふくらはぎの筋肉がかなり発達してきて数少ない自慢できる体の部位となってきた。 
岸辺に着いて三宮までJRで突っ切ろう、須磨海岸も行ってみよう、という気になるがすぐに理性が働いて止める。JRは遠くへ行く時高い。岸辺から三宮までJRだけで行くと片道700円以上する。阪神電車を使うとJR大阪駅までで180円、乗り換えて阪神梅田から神戸三宮駅へ行くと320円。合計500円で済む。
 

 道中、やることがなくなってツイッターを見ていた。講談社英語文庫の『ライ麦畑でつかまえて』を途中で閉じた。原書なのに野崎孝の邦訳にだいぶ引っ張られてしまう。何だかもったいない気がするし、ちょっと時間を置いてから読んだらいいのかもしれない。

 サリンジャーの小説を3か月ずっと読んでいる。本国アメリカでは著者意向により初期短編が読めない。実は日本ならすべての作品を読むことができる。邦訳されたものではあるが。文庫化された作品より好きな話もいくつかあった。
サリンジャー選集』という名前で4冊、荒地出版社という会社から出ている。この会社は倒産してしまったが、図書館で借りられる。荒地出版社とはすごい社名を付けたな。
訳本はすべて読んでしまって、今は『ライ麦』の原書を購入して分からない単語や文法を、飛ばし飛ばし眺めている。地元の本屋に高校生の頃から棚に並んだままで売れていなかったので、買ったとき店主は驚いたんじゃないかな。
 大学入試の赤本をジュンク堂書店に買いに行って、その時に『ライ麦』を見たのが最初。ジュンク堂は椅子に座って本を試し読みできる。赤本そっちのけで熱中していて、一緒に行った友達にどつかれたのを覚えている。なんだか照れてしまってその時は買えなかった。
過剰といっていいほど人のことをよく見ている。サリンジャー(作品の登場人物)の描写がしんどくなって思わず本を置いてしまうときがある。しばらくはその審美基準で生活する。旅行するとき何度も持って行った。
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 15時過ぎ、阪神三宮駅に到着。三宮まで来ると駅に入っているレストランも大阪では見たことないものが増えていて楽しい。地上に出る前にミント神戸に行ってみることにした。駅の案内に書いてあって気になった。6Fにあるタワーレコードに行ってみる。きのこ帝国の、ちょっと前に出た『ロンググッドバイ』というEPを探す。ユーチューブで何曲か視聴していたら頭から離れなくなってきた。忘れたとしても後からぶり返してくる。
D
 
上下黒で揃えた女がエレベーターを待っている。好きな衣服があってそれを買いに行って着るということが自分にはむずかしい。大きなお世話だけど、好きなものを着てください。女に続いてエレベーターに乗ろうとすると、おばはんが閉まるをスロットボタンのごとく押していて挟まれる。頼むそこから離れてくれ。

 
 タワーレコードではジャンル名を胸元に印字したTシャツが売り出されていた。「SKA」「INDIES」これのどこに需要があるのか。ジムオルークの新作が出ていた。1曲目を視聴して好きだった。アバンギャルドでないときのジムオルークだ。聴いてるときどこに視線を向けていればいいのか分からなくて、裏面をじっと見る。
Pヴァイン社40周年の企画で、対象CD2枚同時購入で特別LPがもらえるキャンペーンをやっていた。欲しいCDが対象に含まれていたし、ジムオルークとセットで買おうか、と思うも止める。新品を2枚買うと6千円を超す。お金は置いておこう、これから服屋に行く。タワーレコードを出て、9Fにエスカレータで行く。シネマコンプレックスは覗いただけ。
 

 1Fまで下りて外へ。エスカレータで前に立っていた髪の薄い男が、タワーレコードの店員に何か聞いている。それから列に並んだ。麻美ゆまのイベントがあるみたい。確認してんじゃないよ。並んで待っている人の群れを見てみんなみんな業病という感想を持った。あの空間に瘴気が見えました。生理の犬みたい。

 
 マップアプリを頼りに生田を目指す。ハバダッシェリーという服屋に行こうとしていた。
 レインコートがほしかった私は、インターネットで雨具を購入できる店を探した。長い歴史を持つ洋傘店が元町にあった。なぜ交通費のかかる元町の店を探したのかは覚えていない。
あと数件探しておこうと検索を続けると、件の服屋のブログがあった。良いレインコートの写真が掲載されているし店も比較的入りやすそう。
その週、早速三宮に向かった。携帯を忘れて勘で近辺を歩いた挙句諦めて帰った。洋傘店は開いていたが、男性用のレインコートは取り扱っていなかった。


 

 その日はスイス時計の営業をする女に捕まってしまい、長時間話に付き合って自己嫌悪になった。
急いでいないとき、今急いでいるから、という断りができない。服屋に行くから、と言えば、そのあとで来てくれ。いける時間が分からない、と言えば電話をくれれば迎えに行けるから。ああ、ああ言えば上祐かよ(テレビに呪われている)。携帯を忘れて連絡が取れないと言うとかなり訝しげな顔をされたが解放された。はっきり断らないといけないことは分かっているがそれでもうまくできなくて嫌な思いをする。
ある種の人は、もう、ものを話すゴミのように見なければいけないのか。そのぐらいの意気でかからないと、人をさらりと流すことはできない。それ以外に道はないのか。キャッチセールスで生計を立てる。その家族とその友人とその会話。
 もし「この人は足を止めて聞いているな。私の話す内容・商品に興味があるということだ」と自らに言い聞かせて仕事している人がいるとしたら、危険だ、ということを認識してほしい。「話しかけてきたということは俺のことを好きなんだな」と付きまとうばかが現れても文句を言えない気がする。原理は同じです。同じじゃあほ、と言わせてほしい。

 
 3週連続で休日は三宮近辺にいる。その前週も神戸に行っていて、セットを頼むと焼き鯖寿司を出してくれるうどん屋に行こうとしたら定休日だった。先延ばしになるうちにレインコートがいらなくなったが店への興味は残っていた。
 マップのおかげで店の場所がすぐ分かった。先週は店のすぐそばに来ていたようで、いい線いってたのかよ、と悔しかった。往来ではタトゥーの入った母親、ダイエーで寝る夫婦を見た。
店に入る前に無印良品のあるビルのトイレで用を足した。尿意は特になかったが、初対面の人と話す前にトイレを先に済ませておきたい。
 改めて店の前に立ちドアをこそっと開けた。手前には若い男女の店員。服盲(ふくもう)の私にもお洒落ということが分かる。


 服装を考えるとき、私は、たぶん文盲が本を読むような感覚に陥る。良い服を着たい。しかし、わからない。何が良いのか何が自分に合っているのか。価値基準が存在しないゆえ変な服を高価でつかまされたとしてもわからないと思う。陰で笑われているのではないかと疑心に苛まれる。総合すると、服は着たいけど服屋に行きたくない。しかし、いつまでもそんなことを言っているのか。


 若い店員のほかに、店主と思われるおじさん(おっちゃんと呼べる感じの人相)と客数名が目に入る。全てがきらきら輝いているわけではないのだ、と勇気を得、ハンガーを鳴らし服を探す。良い感じの服というのは高い。
ライ麦』のホールデン・コールフィールドが被ってそうな赤いハンチングも有った。他の客に紹介しているのを聞くと、30年代の帽子らしい。サリンジャーが1919年生まれらしいから、ちょうどか。
30年代の帽子のことを考えるのは変な感じだ。いまから80年以上前に発売されて実際に被られたものを売っているのか。こういうのを着用するのはどういう感じなんだ。


 名前だけ聞いたことのある、トミーフィルフィガーのズボンを見つける。好きな濃紺色である。きれいな顔をした男性店員に確かめて試着をする。履けたのを幸い買うことに。思案が足らなかった気もするが、「悩んでわかる種類のものではないのだ」と自分に言い聞かせる。ズボンを預け買い物を続ける。話しかけられても、安易に笑わないようにする。初めて訪れる場所の、自分の受け答えが好きではない。面白くもないのに笑ったり、迎合して後悔することがよくある。
 今度は店主が話しかけてくれ、リーヴァイスのジーンズを試着。これもサイズちょうどだった段階で購入を決める。ちょっと大きめのサイズも持っておいた方がいいのかな、という旨を話すと、フレアのズボンも持って来てくれた。入らなかった。柄のシャツは入ったけど買わなかった。

 
 段を踏んで絨毯の敷かれた高床に上がると鏡がある。周りから見えないようにカーテンを引いてから試着をする。この店のカーテンはインテリアみたく周りに馴染んでいて試着に使うものだと気付かなかった。勝手がわからず私は靴のまま段を上がっていた。その時若い店員が自然に指摘してくれてよかった。店員はそういうとき、慌てて店主や上司の顔を見たり、おいおい、とあきれた雰囲気を漂わしたりすることが多い。が、そういう不快はなかった。自分の裁量で働いている、働くことが許されている。
 

 自分の反省としては、たとえ試着室が分かりにくかったとしても、靴を履いたままズボンを試着をしようとするのはおかしい。

 ズボンを2本買って8千円くらいで済んだ。古着屋ってすごい。楽しむとはいかなかったが過ごしやすく買い物ができた。安くてよさそうなカバンがあって、次はそれを買いたい。自分が愛用しているカバンの肩掛けはざっくりいうと強めのゴム一つに支えられている。そして、最近はゴムが緩んでいるのか、前触れなく外れるようになった。服屋に行く途中も肩掛けが外れてカバンを落とした。
 ジーンズの股間に穴が開いたり、黒い綿パンが劣化して太ももの部分一帯が赤茶色になったりと、ズボンにはかなり事欠いていた。二本買ってかなり生活をまかなえそうだと思う。しかし、まだ安心ができない。カバンに靴とサンダルも要る。ある日画鋲を踏んだら、簡単に靴底を貫いて足の裏に刺さってびっくり。それが昨年の末で今も毎日履いているので靴は絶対にいる。サンタクロースぐらい。サンダルに関しては、もう中くらいの穴が空いている。まだ安心ができない。

 ジーンズを見た妹に、前のとどう違うの、と言われる。濃紺のズボンも、大きいねと評されてしまった。