尾道

2014年の5月に、今治からしまなみ海道の6つの島を通って尾道へ行った。約70kmの道のりを自転車で旅行した。

5月1日。8時に起きた。出がけに母が1万円持たせてくれた。自転車置き場の係員に駐輪代300円渡し、9時の電車に乗る。途中の吹田駅で、中学の同級生が駅の整理をしていた。隣の車両に大学の先輩が乗っているのに気付いた。去年、仕事で天王寺に通勤していたとき、先輩と同じ電車だった。同じ時間の電車に乗ったらしく、東淀川駅から派手な格好をした女の人が乗ってくるところまで去年と同じだった。新大阪駅で乗り換え、9時29分の新幹線で岡山に。新幹線の中で、さっき見かけましたよ、と先輩に報告した。岡山駅から特急しおかぜに乗車。隣に女性の団体が乗って、海外旅行の話をしていた。岡山と四国を結ぶ瀬戸大橋を渡っているときの海は深いのと同じくらいあざやかな緑色で、橋を渡り終えると陽の光が差して明るい青色になった。今治駅で下りる。

観光案内所でもらった地図を見ながらレンタサイクル場へ行くと、おじさんが受付で、おばさんが自転車置き場を案内していた。シティサイクルもあったが、おじさんから奨められたクロスバイクに乗ってみることにした。参加費を払って、スタート地点まで自転車を押して行く。おばさんが途中まで送ってくれることになり、一緒のタイミングで来たインドネシア人と喋っている。「あんたらの友達きとったよ」「何て名前?」「英語じゃけ分からん」

道路に青い導線が引いてあって尾道までの距離が書いてある。これを辿っていけば正しい道で行けるよと言って、おばさんは帰った。道を外れて光屋という店で特製ラーメンを食べる。久留米ラーメン今治ラーメンという塩ラーメンもメニューにあった。店を出て道が分からなくなったので、一度今治駅に戻った。しばらくしてさっきの場所とは別に青色の線を見つけたので、そこからクロスバイクを漕ぎ出した。14時だった。開けた景色に瀬戸内海の風が吹いてくる。f:id:columbia6421:20230904112258j:image橋の通行チケット綴りが売っている場所を見逃したが、下ってきた道が楽だった分、上り直すのは気が進まない。そこが唯一の売り場だったので、今後、橋を渡るときは現金で払うことになった。料金所は無人で、50〜200円の通行料を箱に入れる。最初の来島海峡大橋では200円払った。来島海峡大橋は第一大橋〜第三大橋で構成される約4kmの吊り橋で、今治と大島を繋いでいる。見晴らしがよく道もきれいで、漕いでいて楽しかった。橋を渡り終えて大島に入る前に、調べておいた2軒の民宿に電話したが両方とも満室だった。焦りながらも下り坂を走っていると、快適さでそのことを忘れてしまう。f:id:columbia6421:20230904123632j:image大島の道の駅で、はっさくミックスソフトを食べた。橋を渡る度に小銭を用意しなければいけないのが面倒だった。皇船荘(みふねそう)という民宿に部屋の空きが見つかった。電話口で女の人が「もしもし」と言いかけて、「皇船荘です」と訂正した。私が「ひとり用の部屋は空いてますか」と聞くと「いいよぉ」と言う。話し方が優しかった。クロスバイクのフレームに取り付けられたドリンクホルダーに、ペットボトルを入れる。

大島から伯方島までは上り坂が多い区間で、立ち漕ぎに失敗して何度か転びそうになった。本格的な格好をしたクロスバイクの人に抜かされシティサイクルの人にも抜かされて、ずっと自転車で通学していたけれど自分は速くないんだと思った。藤や山吹の花が無作為にたくさん咲いている。海に小さい舟が何艘か浮かんでいた。伯方橋から大三島に入る。行き先から外れたところに、水曜どうでしょうで見たことのあった多々羅温泉(たたらおんせん)がある。入ってみたいが民宿に着くのが遅いと夕飯がなくなるかもしれないので、外観だけ見て行くことにした。f:id:columbia6421:20230903234534j:image18時半、多々羅大橋の途中にある愛媛と広島の県境を越えた。橋の歩道上で大きな音を鳴らすと、音が主塔部分を反響しながら上に向かって登っていくように聞こえる「鳴き龍」と呼ばれる現象が起こる。大きな音を打ち鳴らせるように、拍子木のようなものが置いてあった。鳴らしてみると、カッカッカッカッとディレイを掛けたような音がした。橋を渡り終えて生口島(いくちじま)に入ると日が落ちかけていた。f:id:columbia6421:20230903224438j:image皇船荘の方向を間違えて島の反対側に2キロ走ってしまい、ようやく到着した民宿の塀にキティちゃんとドラえもんの絵が描いてあって気が抜けた。チャイムを鳴らすと、髪の短いおばさんと帽子をかぶったおじさんが迎えてくれた。おじさんの帽子から、ふわふわとした髪の毛が出ている。自転車適当に止めといて、と言うので門の前に止めて、ダイヤルロックをかける。玄関にモンゴル800のサインが2枚あった。おばさんから、ご飯準備してるからすぐお風呂入ってと言われたので部屋に荷物を置き、急いで脱衣所に行った。服を脱いでいると戸が開きかけたので、とっさに押さえた。おじさんが「あれ、先風呂入ってんの?」と言う。「おばさんが先入りって言ったんで」と言う。憚りながらもぴしゃりと戸を閉める感じが、祖父母と住んでいたときみたいだった。浴室を広く改築してあって、脱衣所も2〜3人分が着替えられるスペースがある。汗をかいたので風呂に浸かる前に体をよく洗う。浴槽は足を延ばせるぐらいの広さだった。瀬戸内名産のレモンが浮かんでいて良い香りがした。レモン風呂の中で三角座りになって、ふくらはぎを触った。

宿の規模から想像したより広い食堂には他の客が既にいて、食べたり飲んだりしている。NHKのドラマが流れていた。食卓には貝や大きいエビ、鯛のお刺身が皿一杯に盛られている。煮魚、鯛の塩焼き、貝のバター焼、エビの煮物、揚げ出し豆腐、酢の物、タケノコとイカの煮物。これがひとり分で、お腹は空いていたけれど食べ切れるか不安になるほどだった。ご飯と味噌汁はお替わり自由。必死になって魚料理を食べる。味噌汁にまで魚が入っていた。ビールも飲もうと思ったが、瓶しかないというので止めておいた。喉が乾いて水を何杯も飲む。机に置いてある大学ノートはゲストブックとして使っているみたいだった。食べ終わって調理場の前を通ると男性の従業員がいた。ひと目見て、漁師をしている人だと思った。「お腹一杯なった?」と聞かれて、めっちゃおいしかったですと答えた。何気なく、自分の感想をちゃんと言えた。いい感じだったな、と自分の言い方に満足して部屋に戻った。疲れもあったので普段より早い22時に寝ることにした。夜中に蚊の羽音で起きて、そのあと断続的に目を覚ました。次来るとしたらベイプを持って来ようと思う。

 

5月2日。8時に起床して下に降りると朝食が用意されていた。昨晩に比べると簡単なものだったが、やはり海の町で、味噌汁に鯛が入っていた。鯛を3匹は食べたと思う。『花子とアン』が放送していた。おじさんがノートを持ってきて、これに名前と住所書いといてと言う。昨夜見て自分も書きたくなったから、ボールペンを持って来ていた。2階の本棚には宿泊客が置いて行った本が並んでいる。『極めてかもしだ』という山本直樹の漫画と、少年マガジンを部屋で読んだ。布団を畳んでおばさん2人とおじさんに挨拶し、7500円払った。玄関に旭日章が飾られていて、有名な宿だったのかなと思う。帽子のおじさんが小指を立てて今度はこれと来なよと言った。髪の長いおばさんがお土産にレモンとシトラスのケーキを持たせてくれた。調理場にいたおじさんは漁に出たのかもしれない。f:id:columbia6421:20230903230241j:image9時に平山郁夫美術館へ向かう。自転車を漕ぐとお尻に痛みを感じるようになってきた。入館料は900円。受付で鞄を預かってもらう。画家の平山郁夫の生涯についての説明や、しまなみ海道、日本の世界遺産が描かれた作品が数多く展示されていた。夜の厳島神社の絵に使われている色が、瀬戸内海を反射した夜空をそのまま写し取ったみたいだ、と思った。館内のオアシスという喫茶店でレモンジュースを飲みながら、店に置いてある『お釈迦さまの生涯』という平山の挿絵入りの本を読んだ。生老病死。老人・病人・死人・修行僧を目撃してシッダールタは家を出た。生の苦のことを考えていたら、他の3つも分からなくなった。「私のことばを灯にし自分自身をたよりにしなさい」という言葉があったと記憶している。

耕三寺(こうさんじ)に行き、外から写真を撮った。境内には日光東照宮や、平等院鳳凰堂など歴史的な建造物を模した堂塔が数多くある。中に入らなかったので京都御所の紫宸殿(ししんでん)を模した山門と、その内側の、法隆寺西院伽藍の楼門を模した中門だけが確認できた。寺社に詳しい人は建造物の並び方や組み合わせが面白く感じるかもしれない。外のドルチェというアイス屋でレモンシャーベットソフトを買って食べる。テレビで見た蛸処憩(たこどころいこい)というたこ料理の店があったが、11時で昼食には少し時間が早いので行かなかった。生口橋を目指して漕いでいると「尾道まで30キロ」の標識があった。もうちょっとなんだ、と思う。平坦な道と下りが多く順調に進んでいる。

生口橋を渡り終えると因島に入る。ポルノグラフティの2人が出身ということしか知らない。学校の前を通ったときに、「ベルリン映画祭短編部門ノミネート◯◯君」というのぼりが出ていた。因島フラワーパークという公園に飲食用のスペースがあり、皇船荘で頂いたケーキをここで食べようと思った。自販機で買ったアイスレモンティを飲みながら食べる。すごくおいしかった。アコースティックギターを抱えた2人の男の人がいた。藤棚の下に座って、ビートルズのラヴ・ミー・ドゥやアンド・アイ・ラヴ・ハーを演奏していた。遠足に来ていた小学生が、何その曲〜!知らん!などと茶々を入れている。紅白帽をかぶった子ども達が傾斜のある芝生を転がったり大なわをして遊んでいる。演奏が終わって小学生達も帰った後、園内を一周してフラワーパークを出た。誕生花を紹介するコーナーがあった。私のは「かきつばた」で「きっと幸福になる」という花言葉だった。公園に来てから1時間経っている。

因島大橋が見えた。次の向島からゴールの尾道へは渡船なので、橋はここで最後になる。通行料の50円を崩し忘れたので、近くのパーキングエリアに寄ってレモン味のスポーツドリンクを買う。ここでは車道の下を走る。これまでは自動車道の隣で、景色を見ながら自転車を漕ぐのが楽しかったのだが、走り出してみると周りが全て橋の骨組みになっておもしろかった。f:id:columbia6421:20230904162000j:image向島街宣車と遭遇して、現実感に引っ張られる。ゴールまで降りずに走りたいと思って、これまでは下りていた登り坂も立ちこぎした。ゴールまで2kmのところで大正4年創業の住田製パン所というパン屋があって、自転車を下りてしまった。つぶあんパン、コロッケドッグ、牛乳を買って食べる。船着場には、特にゴールのようなものは用意されていなかった。尾道から今治へ自転車で向かう人には、ここがスタート地点になる。船を運転する男性とお客さんが親しく話していた。船は2~3分で尾道に着いた。15時半。クロスバイクを漕ぎ始めたのが前日の14時だから、丸一日ぐらいの自転車旅行だった。f:id:columbia6421:20230904141239j:imageレンタサイクルを返して、ビュウホテルセイザンというホテルを予約した。日本人とタイ人の夫婦が開いたホテルで、尾道の坂の上に建っている。チェックインの17時まで時間があった。シネマ尾道という映画館で、『麦子さんと』『シェルブールの雨傘』が上映されていた。旅行先で興味のある映画がやっているのは心強かった。駅の近くに本屋を2軒見つけて、バーの上で営業している方の本屋に入った。1階のバーに荷物を預ける。本棚にラベルシールが貼ってあって、「値段は裏表紙をはぐったところにあります」とおそらく広島の方言で書かれていた。17時になったのでホテルへ向かう。坂の街と聞いていたが、想像以上の傾斜だった。しまなみ海道では見かけなかったが、尾道では猫をたくさん見た。段差のある道で器用に寝そべっている。リラックスした猫の姿から尾道に住む人の普段の様子が想像できる気がした。こういうところを観光しに来たのかもしれない。

ホテルの受付はタイ人の女性だった。なぜか、地声で話したい気になった。接客の仕事をしばらくやっていたからか、本来の声で話すことが少なくなった。よそ行きの声で話すことが増えて、地声で喋る人や歌う人に好意的になった。夕飯をタイ風の炒め物にするかグリーンカレーにするか聞かれ、追加料金を払って両方頼むことにした。タイ料理には昔、父が作ったトムヤムクンが辛かったという記憶しかなかったが、ホテルの料理は美味しかった。メインディッシュを2種類とSPYというタイのワインカクテルを1瓶飲んだら苦しくなって、部屋で少し眠った。

20時頃、外を歩きに行く。坂を下りて、商店街でれいこう堂という店を探したが、この時間にはほとんどの店が閉まっていた。22時にホテルへ帰ろうとすると、辺りが真っ暗でよく見えなくなった。階段をうまく上れない。昼間と様子が変わったことに戸惑う。アプリで検索して、遠回りになるが階段を使わない道でホテルに帰った。勤めている会社の系列の事務所があった。f:id:columbia6421:20230904110943j:image

 

5月3日。7時に目覚めて、9時に出かけようと思っていたので、起きてすぐ歯みがきとひげそりをする。宿泊費を先に払っているので、挨拶してホテルを出る。従業員が見送ってくれた。f:id:columbia6421:20230903215832j:image千光寺を見に行くと、手前に鼓岩があった。叩くとポンポンと音が鳴ることからポンポン岩と呼ばれている。音を鳴らすための石が置いてあって、叩いてみる。岩は道から大きくはみ出ていて、転がっていかないか心配になった。参拝し、千光寺の記念スタンプをノートに押す。お参りの方法が珍しくて、お賽銭を投げた後、鐘を鳴らす代わりに手元の綱を引っ張る。ワイヤーが回り数珠がカチカチカチカチ音を立てている間にお参りをする。お願い地蔵さまという可愛らしい地蔵がたくさん供えられてあった。岩場を登ったところに権現が奉られている、くさり山という場所があった。鎖をたぐって険しい道を進んでいく中年の男女がいた。尾道には何度も来ようと思うので、この旅行ですべての観光地を回らなくてもいい。
f:id:columbia6421:20230903224645j:image千光寺山を降りる途中で、中村寛吉という人の墓を見る。アララギ派歌人。解説文にあった歌集のタイトル『しがらみ』が印象に残った。この辺りは文学のこみちと呼ばれ、尾道にゆかりのある作家の作品の一節が石に刻まれて所々に置かれている。喫茶店に文房具を販売しているスペースがあって、尾道帆布というところのペンケースを自分用に、小銭入れを母親に買った。

旅行の途中でお金が足らなくなったことがあって、残金が気になり出す。新幹線の券は買ってあるので広島までの交通費1400円さえ残れば、と計算し始めたが、それが寂しいことのように思えて止めた。喫茶店の先におのみち文学の館があり、志賀直哉の旧家が残されている。様々に展示されている作家の中で、林芙美子の名前が目に入った。東京で尾崎翠と一緒に住んでいた人だということは知っていた。尾崎翠は上京して活動していたが、あるとき精神を病んで東京から故郷の鳥取に帰った。親類がやって来て彼女を連れて帰った。その記憶があって、林芙美子の名前だけ知っていた。トイレをしに一度上へ戻って、そのあと林の『放浪記』を買った。

11時に坂を下りてシネマ尾道に入る。『麦子さんと』が11時半からだった。何かの割引きで1600円で入場できた。観るのは2回目。居酒屋で麦子は、亡くなった母親や周りの人達への不満を爆発させる。町の人はその事をたしなめたけれど、麦子の感情自体は誰も否定しなかった。13時に、しみず食堂へ。店主が自分もご飯を食べながら客と話していた。そこに入って、ラーメンといなり寿司を注文した。ファンタグレープの1.5ℓのペットボトルに入った水をコップに注いでくれたから、ぶどうの香りがかすかにする。一瞬、笑いそうになるくらい優しい味がした。ラーメンといなり寿司も素朴で、限られた場所でしか食べられない味だと思う。昨日行かなかった本屋へ行き、外の100円コーナーを見てから店内に入る。『フジ三太郎』という漫画と、平山郁夫の『生かされて、生きる』という本を買った。商店街は賑わっている。昔からやっているおもちゃ屋や、銭湯があった。f:id:columbia6421:20230903223355j:image海が見えるカフェでマンゴージュースを買った。店員の若い、歯並びに特徴のある男の人が抹茶エリーゼをお茶菓子にくれた。テラス席で本を読んだり風景を眺めたりしていたが15時50分から上映される『シェルブールの雨傘』が気になってきて、またシネマ尾道へ入った。2部の後半に寝てしまい、ラストシーンの感動がちゃんと伝わらなかった。ミュージカル映画。ガソリンスタンドの仕事が終わって恋人のところへ向かう。登場人物の感情、そしてそれを素直に表現しているのが眩しくて、逃げ出したい気持ちになる。カトリーヌドヌーヴという人の名前と顔を覚えた。

尾道駅のコインロッカーに預けておいた鞄を取り出してお土産を買い、17時54分の電車で広島駅へ向かう。あとは帰るだけだと思うと気楽になり、窓の外や電車の人の様子が自然と目に入ってくる。野球部の子が電車を下りるとき、チームメイトを慰めていた。友達に「気をつけて帰れよ」って言う子がいた。

広島駅に着き、ASSEという駅ビルに。2階の飲食店で麗ちゃんというお好み焼き屋に入ろうとしたが、すごく混んでいる。新幹線の時間があるので、席の空き始めた尾道ラーメンの店に入って唐揚げセットを注文した。平麺と細麺の2つから選べたので、平麺にした。唐揚げとご飯が先に来る。大きな唐揚げが5つ。2つでご飯一杯食べてしまえるぐらいの大きさだった。同じ尾道ラーメンでも、昼に食べたラーメンと全然ちがう味がする。隣の人がチキンラーメンみたいと言っていたが、この人も平麺にしたんだなと思った。20時に店を出てお土産を見た後、ドトールコーヒー宇治抹茶ラテのアイスを買って、待合席で飲みながら新幹線を待った。f:id:columbia6421:20230904110653j:image

足利銀行

2013年の4月1日からJRでは仙台・宮城デスティネーションというキャンペーンをしていて、東京〜仙台間が通常よりも安く移動できるようになっていた。職業訓練校で働いていた私は今担当しているクラスが終わったらディスクユニオンという東京のCD屋で働くことを考えていたので、4月からの連休を使って東京へ行き、店や働く人の様子を直接見ておきたかった。そこから少し足を伸ばして、震災から2年が経った宮城県岩手県の様子を見たいと思った。


4月26日。高校のときの地図帳、旅行ガイドブック、時刻表、本、着替え、書類を入れるクリアファイルなどを準備した。スマートフォンを持っていなかったので乗り換える駅を何パターンか調べて印刷しておく。仕事中、訓練校の生徒に目が綺麗と言われたがどう返事していいか分からなかった。夕方に会社の人たちと新大阪のカラオケへ行った。社長から次のクラスではメインで教える経験を積んでもらいたいと言われたが、自分の意向とは違った。私はsailing dayなどBUMP OF CHICKENの曲を歌った。社長がブルーハーツの終わらない歌を歌っていて、何というか逃げ場を封じられたみたいな気持ちになった。


4月27日、20時30分に所持金5万円で家を出た。新大阪駅正面口の鉄道警察前駐車場で21時40分に集合し、22時に出発。御在所、静岡、海老名のサービスエリアに停まる。


28日の朝6時45分、東京駅の八重洲口に到着し、PRONTで朝食にマフィンセットを食べた。トイレの個室に長く居座る人がいてなかなか入れなかった。東京駅から浅草橋駅へ行くときに、1日都心乗り放題の券を購入。浅草橋から都営浅草線押上駅に乗り継いだ。そこから歩いて東京スカイツリーへ行った。初めて見るスカイツリーは、とにかく大きくてびっくりした。押上駅から浅草寺まで歩く。晩春の暖くて過ごしやすい日だった。雷門、仲見世を通って浅草寺でお参りをする。田原町駅から神田、神田からJRに乗り換えて中野へ行った。中野ブロードウェイのライセンスという喫茶店に入ってアイスコーヒーを飲む。11時40分まで本を読んで、味七というところで辛しみそラーメンを食べた。まんだらけいがらしみきおの珍しい本を見つけたが、買わなかった。

中野から新宿に移動してディスクユニオンを回った。ジャズ、ソウル、パンクなどとジャンルに特化して出店されているのが特徴的だった。FIFTEEN、Mega City Four。日本橋K2レコードという大阪で一番だと思っているレンタルショップにも置いていないCDが有って、東京ってすごいんだなと思った。GANG GREEN、Pale saints。PavementブートレグPavementのslow centuryというドキュメントを日本でも売ったらいいのにと思っていた。crimpshrineの1stアルバムを1500円で買った。店員がどんな風に働いているかをもっと見ておくべきだった。父にレコードを購入したが、レコードに関しては少し高いという印象を持った。17時に新宿を出て池袋に移動する。

新文芸坐ビリー・ワイルダーの特集をやっていた。館内に置いてある市川雷蔵映画祭のチラシを見て、市川染五郎とあまりに似ていることに驚く。『昼下がりの情事』『情婦』の2本立てを1300円で観た。両方ともおもしろかったが疲れて何度か寝てしまった。22時半に赤羽へ。

この日は赤羽馬鹿祭りが行われていたらしいが、私が着いたときには1日目が終わって静かになりかけているところだった。「馬鹿祭りに来てるんだけどあなたのこと思い出して電話したの」とすれ違った女性が言っていた。松のやでささみかつ定食を食べた後コンビニで歯磨きセットを買い、ネットカフェに2000円のナイトパックで入った。リクライニングシートの席。1万円使って残金が3万9000円になった。


4月29日。27日の夜から風呂に入れていないのでコインシャワーを浴びようと思ったが、使ったことがなくて躊躇しているうちに出発の時間になった。9時にネットカフェを出て赤羽駅へ向かう。薄茶色の建物の2階に濃い茶色のデニーズの店舗が収まっていた。駅でサンドイッチと牛乳を買い、宇都宮行の電車に乗る。栃木県へ行くのは初めて。隣に短いスカートの女子学生が座った。黒磯駅でJR東北本線に乗り換え、ワンマン電車になる。つつじの花がきれいに咲いているのが見えた。郡山駅のホームでペットボトルのお茶を買う。福島駅から快速電車になった。地図帳を開いて通過した地名を確認するのが楽しい。15時に仙台駅に着いた。

宮本輝の『錦繍』を読み終えた。14通の手紙が小説になっている。私の中にもある、命について考えた。命の動きをおさえようとしたり他人のそれを笑ったり馬鹿にしたり、また、美化もすべきではない。まっすぐに見なければいけない。生存のために自分を隠して命を粗末にすることを選んだ。生存と関係ないことは命を粗末にしているようにみえるけど、実はそうではない。生きていくのに一見関係ないことが命の求めていることであるかもしれない。

仙台駅から地下鉄で広瀬通駅へ行き、フォーラスというビルの地下2階にある北京餃子に入った。豚玉丼と広東焼きそばのセットを注文。隣はライブハウス。ライブを観に来て、近くに安くてたくさん食べられる店があるのは嬉しいだろうなあと思った。17時、スーパーホテルにチェックインして少し寝る。堀北真希がネプリーグの人偏の漢字を答えるゲームで「仏」「仔」「依」と答えていた。缶チューハイを飲んでふらふらになりながら外に出る。
いつから人の目を見て喋れなくなったのか思い出したい。初めて指摘されたのが小学3年生のときで、喋れなくなったというより、喋る際は目を見るものだと知らなかった。私の通っていた小学校では1年生と6年生、2年生と4年生、3年生と5年生がペアになって様々な行事を行うことになっていた。何かの話し合いで集まっていたときに、5年生の女子から「きみは何で目を見て喋らないの」と聞かれた。私はこういうときにどんな反応をしていただろうか。今は、嘲笑というか、誤魔化すように笑っていることが多い。ホテルの出入口の前の階段を駆け下りた。
ふたつ上の学年だから自分たちが中学校に上がったとき、ペアの上級生は同じ中学の3年生だった。特別な視線を送っていた気がする。友達のお兄ちゃん、いつも一人で自転車に乗ってどこかへ行っていた男の人、女子バスケット部のキャプテンになれなかった人。小学生の頃に持っていた印象が中学生になって変わったことを、小学生のときより冷静な目になって眺めている。そしてなぜか視線の中に、その人を思いやる優しさのようなものが含まれていた。眼差しはものを見る上でノイズだったのが、知らない間にそれが本流のようになっている。体裁を整えて現在も同じことをやっているような気に、たまになる。自分も2つ年下の子からそのような視線を受けたのだと思うが、そうやって見られていることを認めるのが嫌で、頑なに意識しなかった。私の中に答えはあるのだが、見つけることができない。
末廣という店で中華そばと半やきめしを食べた。ホテルに戻って大浴場の風呂に浸かり、頭を2回洗った。お金は残り2万5000円。いつかは誰かと旅行してみるのもいいかもしれない。


4月30日、7時に起きてスーパーホテルの朝食バイキングを食べる。10時にホテルを出て本屋でいがらしみきおのエッセイを購入すると、店員が彼の来店したときの話を聞かせてくれた。レコード、CD、本をゆうパックで家に送った。ずんだもちを買って食べ、これも家に送る。ATMで残金をすべて下ろして松島海岸駅へ向かう。12時に到着すると雨が降っていた。遊覧船のチケットを買って、乗船前に南部屋という店であなご重を食べる。13時出発の船に乗って、中の売店かっぱえびせんを買った。大群で追いかけてくるカモメは迫力があった。船から下りた後、海を見る。屋台で牡蠣を買った。16時の電車に乗って鳴子温泉に向かう。

松島海岸〜仙台〜小牛田〜古川〜鳴子温泉。20時を過ぎて空は暗くなり、ほとんどの店は閉まっていた。喫茶店に入りキーマカレーとコーヒーを注文する。店主と常連客の南部さんと、映画や音楽の話をした。美空ひばりの曲や『こめ』という映画のことを教えてもらう。ツィゴイネルワイゼンという曲のレコードを聴かせてもらった。21時に閉店。宿の予約を取っていないと言うと店主は、ばかな!と言った後、知り合いのやっている宿に電話して予約してくれた。そのあと南部さんに宿まで送っていただいた。石巻に住む彼の娘さんは逃げることができたけれど、家と車が津波で流された。
宿の女将さんに部屋を案内してもらう。予約を取らなかったことについて、無謀と言われた。湯治客が多い宿で、確かに温泉からは効能のありそうな匂いがした。湯は乳白色で浴そうは真っ黒だった。30代にみえる男の人が温泉に浸かっていた。どこから来たかという話になり、私はここまでの行程を説明した。何か言ってくれるかと思って、宿をちゃんと予約しなかった話もしたが何も言われなかった。旅行をよくしたらしい。バイクに乗って日本中を周ったという。この宿には家族で来ているということだった。私は自分がバイクに乗ったり、結婚して家族と旅行することを想像した。話はそこで途切れてしまい、男の人は先にあがった。部屋に戻って23時に寝た。


5月1日、6時に起きて8時に朝食。ふきのとうが入った味噌をご飯にのせて食べた。すごく美味しくてまたどこかで食べたいなと思う。部屋の片付けや準備をする。廊下で昨日の男の人とその家族に会釈する。6200円払って、9時に宿を出た。喫茶店に寄って店主にお礼を言った。
足湯にしばらく浸かってから、滝之湯に入浴した。千年の歴史がある公衆浴場らしい。温泉街で鳴子こけしのストラップを3つと、こけしあられを買った。鳴子温泉から一ノ関へ移動。

カフェモンテという店でパスタランチを食べ、平泉駅へ。駅の案内所で話を聞くと三陸鉄道にはたくさんの客が来ているそうだ。歩いていると大雨が降ってきて、傘を買った。中尊寺金色堂へ行く。仏像の顔をしっかりと見た。奥州藤原氏の歴史を読んで『おくのほそ道』を購入した。駅まで歩いてそこから盛岡駅に向かう。19時に着いて、またスーパーホテルで泊まることにした。HotJaJaという店で大盛じゃあじゃあ麺、チータンタン(麺を食べ終わって注いでもらうゆで湯のスープ)、岩泉という地酒を頼んだ。日本酒なら飲めると思ったがダメだった。


5月2日。6時に起きて大浴場で風呂に入った。健康朝食(スーパーホテルの朝食バイキング)にあった、ひっつみ汁という岩手県の郷土料理が美味しかった。1階のパソコンで盛岡から久慈への行き方を検索し、印刷する。盛岡から宮古は往復3640円、宮古から久慈は往復4180円、計7820円。11時の電車で盛岡から宮古駅へ。宮古駅からは北リアス線になり、小本駅へ。小本駅からバスに乗り換えて田野畑駅。この区間はまだ電車が復旧していない。カンパネルラ田野畑とピンク色の駅舎に書かれていた。田野畑から再びリアス線で久慈駅に行った。お金が残り少ないことに気付いて、何も買わず盛岡行のバスに乗る。20時に盛岡駅に到着。仙台に戻ろうと電車に乗ったが、22時、一ノ関駅に着いたところで電車がなくなった。

宿泊代にまわすだけの旅費の余裕がなくなり、仙台駅を目指して歩き始めた。標識を頼りに車道の端を歩く。歩きながらウォークマンYO LA TENGOのI CAN HEAR THE HEART BEATING AS ONEというアルバムを聴いた。GREEN ARROWという虫の声が入った曲を聴きながら田舎道を歩くのは不思議な経験だった。灯りがないため星をきれいに見ることができたけれど、道が怖かった。歩いている左側は何も見えない。夜中の1時半、標識に仙台まで80kmとあって無理だと分かりながらもまだ歩いている、歩けば宿泊費も交通費も浮くからという敗北主義。「鬼死骸」というバスの停留所があった。文字が怖かったのかその意味が怖かったのか、諦めがついて、来た道を何度も走って戻った。事前に知っていたらそうでもなかったかもしれないが、暗い道でぱっと目に入ったのもあって、鬼死骸という名前のインパクトを直に受け取ってしまった。駅前の招福亭くれよんというカラオケ店に翌朝の始発まで居させてもらうことになり、順番待ちの椅子に座って眠った。本当ならばこの日のうちに仙台まで行って宿泊し、3日に帰ろうと思っていた。夜行バスを待つ客の声や、漏れ聞こえてくるカラオケの音でよく眠れなかったが、人のいる安心感には変えられなかった。


5月3日、店員にお礼を言って5時30分に出発した。目覚めが悪い。駅で「小さな旅ホリデー・パス」というJR線の南東北エリアに1日乗り放題の切符を買った。これで栃木県までの区間を通常より安く移動できる。一ノ関~仙台~福島~郡山~新白河新白河駅には12時に到着。ホリデー・パスで移動できるのはここまでだった。

大阪までの交通費が足りないことに気付いたのはこのときだ。1万円必要なところ、7000円しかない。新白河から東京までの移動に3300円、東京から大阪行きの夜行バスに乗ると5000~6000円かかる。東京まで行って知人にお金を借りようとも考えたけれど、避けたい手段だった。何回か計算し直したが、やはり足らなくて焦っている。しかし仮にではあるが、宇都宮までの交通費を何かで浮かせることが出来れば自分のお金で大阪まで帰ることができる。ハムカツコロッケロールを買って黒磯駅に移動し、ベンチでパンを食べながらしばらく考えた後、ノートに「よければ乗せていただけませんか」と書いた。

3回書き直したノートを開き、黒磯の道路で立っていた。運転手ににらまれたり学生から笑われたりしたが1時間。車が止まったので駆け寄って事情を話し、宇都宮まで行けば帰ることが出来ますと言うと、宇都宮までなら帰り道だからと乗せてもらえることになった。運転席に男性、助手席に女性、後ろの席におばあさんが乗っていた。私はおばあさんの隣に座って、リュックサックを膝の上に置いて腕で抱えている。

私の字は細すぎて何を書いているのか見えなかったらしく、たぶん旅慣れない人なんだろうなあと思ったらしい。コンビニで夫婦が車を降り、おばあさんと2人になった。大阪から来ましたと言うと、おばあさんはそうですかと笑っていた。5~10分ほどで帰ってきて再び走り始めた。ありがたいことに宇都宮よりも少し東京寄りの石橋という駅まで乗せてもらうことになった。栃木県にはいつかゆっくり来たい。1時間走って15時に石橋駅に着き、別れる時に紙袋を渡された。中を見るとパンや飲み物が入っている。コンビニで買ってくれたのだ。私は写真が撮りたいと言った。夫婦はいい、いい、と言って帰った。お礼がちゃんとできなかった。一人になり改札に向かう。写真を撮りたいと言ったことが恥ずかしく思えてくる。なぜあんな事を言ったのだろうか?誰かに迷惑をかけることがあっても、申し訳なさを自覚することができたらそのことが一つ慰めになるのだが、車に乗せてくれた方達にはそれも出来なかったから情けない気持ちがそのまま残っている。

歩きながら袋を見ていると封筒が入っていた。足利銀行の封筒の裏に私宛てのメモが書かれていて、中にお金があった。私は立ち止まった。男性が車を止めてくれたときの気持ちを想像した。家族を乗せて車を運転していると、知らない人がノートを持って立っている。それを見て、たぶん旅慣れない人だから乗せてあげなければと思った。

東京駅に着きバスの券を購入する。頂いたお金と乗せてもらった分の交通費がなければ買えていなかった。
何日か後に家族で兵庫県の出石に行く機会があり、鳴子でお世話になった喫茶店や南部さんに手紙を出したくて土産屋で絵はがきを買った。調べれば喫茶店の住所は分かるのだが書き出せなくて今になっている。

ドーバキホステル

数年前に友人がアメリカのワシントンD.C.で短期滞在することになった。滞在先に来てもいいというので10年間有効のパスポートを作った。もうひとりの友人と3人で何日か生活することになるし何か作れた方がいいと思ったが、料理をほとんどしたことがないので、よく利用していた個人経営の書店に和食のレシピ本を買いに行った。アメリカから帰ったらまた、と店主に言って店を出たことを覚えている。しかし、お盆休みを利用して行くつもりが仕事で行けなくなり、パスポートを使うことのないまま時間が経っていった。

この年は5月の祝日が重なって9連休になった。初めは何も考えずに身体を休めていたが、今がパスポートを使う機会なんじゃないかと旅行サイトを調べたら、韓国へ行くのは予想より費用がかからないことが分かった。このタイミングを逃すとパスポートの期限までに海外へ行けないんじゃないかと思った。決まり悪くて本屋に顔を出せなかったが、韓国に旅行してきたというのは久しぶりに行く口実にもなる。映画祭で有名な釜山に行ってみたくなった。旅行会社に連絡して5月4日発の関西国際空港〜金海(キメ)国際空港の往復航空券を取ってもらい地球の歩き方を買いに行った。これが5月3日のことだ。

5月4日は朝6時に起きて7時50分に家を出た。駅へ向かう途中でウォークマンを忘れたことに気付いて引き返した。電車の中で路線図アプリを見ていて11時の便に間に合わないかもしれないと気付き、ハッとした。出発時刻よりかなり早い時間に着いて搭乗手続きを済ませる必要があるのを忘れていた。間に合わない、出発時刻より前に着くのだから流石に間に合うだろう、いや、とやっているうちに関西国際空港駅に着いた。ファミリーマートに寄って10時に手続きに行ったが、受付時間が終わっていた。代理店に電話して飛行機に乗れませんでしたと言った。担当から折り返します、と言われ、そのあとすぐ電話がかかってきた。直前に対応してくれた担当者に申し訳なくて、出ないでおこうかと思った。2万円ほど追加で払えば19時の便に乗れるとのことだったので、ファミリーマートで支払いを済ませた。昨日買った航空券はキャンセルになり、航空会社が変わった。6日夕方の便で帰ってくる予定が午前の便に早まった。既に4万円出していて、以前の給料だったら旅行を止めていたかもしれない。

数ヶ月前、仕事のことを相談する間柄の人が転居に伴って退職した。新しく人を雇う代わりに残った人の基本給を上げ、一人当たりの労働量を増やすことになった。同じことが以前にも一度あった。お世話になった人が辞めることや仕事が増えることよりも、誰かの穴は埋めることが可能だという事実を受け入れるのが難しかった。待遇がよくなることと誰かがいなくなることが自分の中で一緒になってしまい、その考えが止められないことに苛立っている。

出発まで8時間あるので時間つぶしにスカイテラス行きのシャトルバスに乗った。スカイテラスは飛行機が離陸するのを眺めたり空港のオリジナルグッズを買ったりして空港を楽しむことができる施設である。連休で家族連れの客も多かった。飛行機に乗れなかったことで気分が暗くなっていた私は、旅行せずとも楽しそうな人たちを羨ましく感じる。一度テラスから出て空港行きのシャトルバスの時間を見に行ったが、結局は中に入った。「1年後でいいから、もう1回連れてきて」と真剣な声で親にお願いする子どもを見た。エスカレーターに乗るタイミングを窺っている子もいた。エスカレーターに乗るだけのことがとても難しかったときのことを思った。その子は次の階からスムーズに乗れるようになった。最上階の展望デッキから空港の全体が見渡せる。おばあさんが「こんなん見て喜ぶ年齢ちゃうわ。なあ?」と一緒に来ていたおじいさんに言っていた。でも飛行機の滑走が始まると、2人ともベンチから立ち上がって離陸の様子を見ていた。

テラスから空港に戻って、サンマルクカフェでブレンドコーヒーを飲んだ。13時にドトールでグリルドビーフのサンドイッチを食べて、それからは空港の中をずっと歩いていた。16時半にチェックインカウンターへ行って搭乗手続きを済ませ、ドラッグストアで目薬と酔い止め、洗顔料を買った。TSUTAYAでインスタントカメラと韓国語会話の本、変圧器を買う。17時の荷物検査のあと、プロントであんぱんとクリームパンを食べた。席で日本人が3人、集まってプロ野球の試合をスマートフォンで見ている。

時間が来たので搭乗口へ行き、ブリッジから飛行機に乗る。その途中で日が暮れるところを見た。座席にミネラルウォーターが置いてある。航空会社の人が、前の職場で話したことのある人と似ていたのを後から思い出した。窓から滑走路と大阪湾が見える。アナウンスがあってしばらくして、飛行機が動き始めた。パンフレットに描かれたマスコットキャラクターはブルックブルーナの絵にそっくりだが、許可は取ったのだろうか。考えなくていい事を考え始めている。許可がないのだとしたら、似た絵を勝手にキャラクターに使う神経はフライトの安全性にかかわるのではないかと気になってきた。親には昨日、西の方に行くとだけ言って出てきた。飛行機が落ちたら自分が黙って海外に行ったことも知られるんだなと思う。離陸後、ウォークマンでCANのFUTURE DAYSを再生すると、水の中で録ったような音が流れたので停止して『火の鳥』の2巻を読むことにした。家に物を増やしたくないからという説明つきで人からもらったものだが、読んでいると気持ちが落ち着いた。

20時半に金海国際空港に着く。入国審査を受けたとき、日本人はあまりいないようだった。外務省からの注意事項というタイトルでメールが送られてきた。こういうメールが来るのは知らなかった。親に言っていなくても、外務省には自分の海外渡航の情報が知られるのか。ブラジルのコーヒー農園とか、誰も私のことを知らない場所へ行って住み込みで働き、そこで一生を過ごすという最終手段があるという思い込みを私は心の拠り所にしていた。

日本円をウォンに両替する。韓国で両替する方がお得だと本で読んだので、いまは日本円しか持っていない。両替所の女性が向こうにある銀行を指さして、早く行けとジェスチャーしている。急いで銀行に行ったが閉まっていた。さっきの両替所には誰もいない。慌てていたのは両替所は営業が終わっていて、銀行の閉まる時間も迫っていたからだろうか。ATMを触ってみたが私のキャッシュカードは対応していなかった。自動販売機にポカリスエットの細い缶が売っていて懐かしい。観光案内所に行って状況を説明すると、自分の代わりに銀行に電話して、何か両替する方法はないか聞いてくれた。電話が終わると「だめ」と言った。「明日、明後日は土日だから銀行開いてないです。この空港は23時で閉まります」礼を言って空港の外に出る。

移動する方法がないので昨日予約したドーバキホステルにキャンセルの連絡をする。利用規約にキャンセルは有料と書かれてあったが「無料キャンセルのリクエスト」というリンクがあったので、そこからメール画面を開いて英語で文章を考える。焦って同じ文法ばかり使ってしまう。メールを送ったあと、念のため電話もした。日本語を話せない人だったので英語で話す。キャンセルできてひとまずほっとする。生活の中で失敗やトラブルの説明をすることがたまにあり、自分のことをかわいそうと思わせたりこれ以上責めさせない技術が身に付いている。そのことを自覚すると深いところから恥ずかしさがやってきた。少ししてリクエスト承認の通知が来た。必要に迫られれば外国語でキャンセルが出来るんだなと自分に感心する。喫煙スペースの近くで眼鏡をかけた男性に「タクシー」と声を掛けられた。バンプオブチキンのfire signの前奏がなぜか頭に響いている。乗りたいけれどウォンが無いと説明したい。でも言い方が分からないので「ノー」と言った。日本語の通じる人が見つからない。

空港の閉まる23時、まだ歩いている。突然クラクションを鳴らされて、見るとタクシーが並走してきていた。さっきとは別の人だ。「タクシー?」と運転手の男が言った。切羽詰まった私は「ノーウォン!」と言った後、財布から1万円札を出して「イェンオーケー、ウォント、エクスチェンジミスクローズ!」と言った。「オーケー、車嫌い?」と運転手が言う。私はタクシーに乗り込む。通じたか分からない。でも乗ってしまった。韓国語会話の本をめくり「これをウォンに両替(ファンジョン)して下さい、ファンジョン、オーケー?」と言う。運転手の男はどこかに電話をかける。ホテルの予約ができていないことも言った。「東横イン?」と運転手が言う。「東横イン知ってる!」と返した。自分が今どこにいるのかどこに向かっているのか分からないが、周りの景色が明るくなってきたので都会に向かっているのではないだろうか。60代くらいで浅黒い肌の運転手。スマートフォンの待ち受け画面が軍服を着た男の写真だった。運転手の若い頃かと思ったけれど、それにしては画質が鮮明だったので子どもの写真じゃないかなと思い直した。

団地でタクシーが停まった。運転手がこっちを向いて「お金」と言う。私は初め5万円を両替したいと伝えていた。でも財布に日本円を残しておきたい気がして2万円だけ運転手に渡した。「5万だろ」と運転手は言いたがっている。残りの3万円を渡してもまだ私を見ている。こういうこともあるだろと思って運転手をにらみ返した。運転手はダッシュボードに私の5万円を置いて「ママサンが」と言った。そのあと鼻歌を歌い始めたのでとりあえずママサンを待てばいいんだと思う。しばらくして女の人が来た。この人が「ママサン」なのかな。50万ウォンといくらかお金を受け取った。「さようなら」「ありがとう」と言葉を交わして別れた。

車内からマクドナルドの看板が見える。見慣れたものを見たのが嬉しくてマクドナルド!と言いたくなったが、寄りたいわけでは無いと説明するのが面倒で言わなかった。月がきれいに出ていた。ネオンのきらびやかな中で分かるくらい大きい。私は本をめくり「月(タル)」「きれい(イェップダ)」と言った。運転手はハハッと声を出した。その後、「東横イン」と運転手が言う。高層ビルが立ち並んでいる中にその文字が見えた。「東横イン!」と私も言った。「市内観光呼んで予約OK?」「OK」東横インの前で車を停め、運転手が受付に話をしてくれた。しばらく話して、自分で喋れという表情を私に向けてきた。受付は黄色い服の女の人で日本語が上手かった。あっという間に手続きが完了する。運転手への態度が冷淡だった気がした。1416号室の鍵をもらったあと、運転手の背中を叩いて手を振った。この人がいなかったら私はどうなっていたか分からない。水を買ってエレベーターで14階に上る。部屋に荷物を置いてすこし休んでから夕飯を買いに出かける。

東横インのすぐ近くに海があった。部屋のパンフレットに「東横イン釜山海雲台Ⅱ」と書いてあった。海雲台(ヘウンデ)。自分はいま海の街にいるのだと分かった。砂浜に下りて歩いていると屋台が並んでる。それぞれの店に水槽が置いてあるのが珍しかった。海辺から陸地を見上げて歩いていると高層ビル群の中にWestin HOTELの文字。読めたのはそれぐらいだった。波打ち際に大きな砂の山が見えた。海と空が影になって山を浮き立たせている。頂上まで上ってみると奥の白い月がはっきり視界に入る。私の足下には靴跡が無数に並んでいてそれが月のクレーターみたいに思えた。砂山を下りて街の方へ向かうとセブンイレブンマクドナルド、もう閉まっていたが海鮮料理の店があった。釜山は海に面していて魚料理が美味しいと本に書いてあった。遊歩道のベンチに猫がいる。近づくとサッと逃げていった。私はそこに座って息を吐き、階段を下りたらまたその猫がいた。今度はゆっくりと近づいたが、さっきのベンチの方へ階段を駆け上がっていく。もう少し散策しようと思った。

CINEMA HOTELという看板。映画で有名な釜山だから「シネマホテル」という名前には違和感がない。名画にちなんだ部屋があったりするのだろうか。韓国映画はあまり観たことがないから、撮影に使われた場所を見ても気付かないと思う。前方にプレハブ小屋みたいな建物が3軒ある。大きなビルの並ぶ通りにこんな建物があるのが意外で、映画のセットかなあぐらいに思っていると、後ろから「ネー」と聞こえた。きれいな声だった。今この道には私しかいない。考えながら通り過ぎたあと目の傍で捉えた光景が後から頭の中で開いて、ここが何の場所だったのか分かった。昔の記憶を思い出すような感覚で理解が追いついて、心臓が大きく動く。それが収まった後、顔が熱くなった。私はこの場所を知らない。でもこのような場所で働く人のことは知っている。黒い網のような服、自分が外国人だということが悲しくそしてそのことに安心する。落ち込んでいて卑屈で、どこかはしゃいでいる。

 

5月5日。夜に見た夢の中で私は飛行能力を得たが、でも判断能力を失ってどこへ行けばよいのか分からなかった。朝6時に起きたとき、またfire signが頭の中で聴こえた。朝食バイキングの会場へ行く。干し魚のスープ、ポテトサラダ、レーズン、赤飯。辛い味つけのミートボールにはたぶん鶏肉が使われている。器は持ち上げないのがマナーだと本に書いてあったので、そうする。銀色の箸を使って赤飯を食べる。部屋に戻って地球の歩き方を読み、昨日のことをノートに書いた。今日の予定を決めきれていなかったので急いで本をめくったが、まとまらないままチェックアウトの時間になる。エレベーターが満員で乗れないことが何回か続いた。ホテルを出て昨夜の通りへ行くと、小屋には誰もいなかった。椅子に、知らないキャラクターのひざ掛けが置いてある。おばあさんが前の道を掃除していた。海へ行くと、昨日見た大きな砂の山に子どもが登っている。

水族館を見つけて階段のそばにある建物に入ってみるとお土産コーナーとレストランだったので外に出て、チケット売場へ向かった。売場は空いていたが、客が多いとき使うための通路に入ってしまった。係員の女性が苦笑している。何回も曲がってようやく受付に着いた。案内が読めず困っていると「Japanese?」と聞かれる。頷くと日本語の話せるスタッフを呼んでくれた。「こっちのは何ですか?」「しょうがい」「ああ」料金の3万ウォンを払おうとすると「こっち」と言われた。水族館の入口で支払うようだった。係員からオプションの説明をされたが分からなくて困っているところに、さっきのスタッフがまた来てくれた。レシートを見ると外国人料金だった。入ってすぐの水槽でピラニアが泳いでいた。昔、鳥羽水族館かどこかでピラニアを見たことがあった。その姿が印象的で久しぶりに見たかったけれど、韓国で叶うと思わなかった。過去に見た時は捕食の様子が展示されていたが、現在はやらないだろうと思った。ピラニアの群れは赤くライトアップされた水槽をぐるぐる泳いでいる。この水族館は子どもが楽しめるという点に力を入れているように思った。飾りやBGMが賑やかで、どこかのフロアでは人魚姫のショーをやっているらしい。追加料金を払ってVRのオプションを付けたが、どこで使うのか。言葉が分からないため、物珍しいものを見る子どもの気持ちで水族館を楽しんでいる。足下をジンベイザメが横切った。展示を見終えてさっきのお土産コーナーに出た。f:id:columbia6421:20230726224355j:image子ども番組のテーマのような曲が流れている。お腹は空いていたが食堂には行かなかった。海雲台ミルミョン専門店という店で昼食を取ろうと思っていた。ミルミョンとは北朝鮮から避難してきた戦争難民が平壌の冷麺を再現しようと作った釜山発祥の冷麺のことらしい。バスキンロビンスでアイスを買う。カウンター2席とテーブルが3つ、日本の交番くらいの広さの店を男の店員が回していた。ほかの客のやり取りを見てから自分もアイスを注文しに行った。「チョコ」と言ってサンプルのコーンを指さす。「チョコ?」といって店員がケースを指さした。この店にはケースに入ったアイスクリームと機械から出てくるジェラートがあったが、私はジェラートが食べたいので改めて「チョコ」と言って機械を指さす。3000ウォンの料金に10000ウォン渡した。男はレジから4000ウォン出して渡してきた。お釣りは7000ウォンじゃないのかと思ったがそのままジェラートを受け取って、店を出ようとするとアイスをもう1つ渡された。注文と違うけれど訂正してる間に溶けてしまうので、諦めてアイス2つを手に急いでベンチに座りチョコチップが入った固いジェラートアイスを噛み砕く。

東横インの前で昨日の運転手に電話をかけると、韓国の演歌みたいな音楽が流れた。男が出て「アンニョン~」と言った。「東横イン~」と言うと私のことが分かったようだった。「市内観光」「ああ市内観光」「いくらぐらいかかりますか」「10万ウォンくらい」私はその料金が高いと感じた。今日の宿泊費や明日空港まで行く交通費も残さないといけない。「地下鉄」とか「電車」とかの言葉が断片的に電話口から聞こえるが、向こうも公共交通機関がいいと思っているのだろうか。「時間はどれくらいかかりますか」「1時間」運転手がここに来るまで?市内観光に?それらを考えたり伝えたりすることがだんだん面倒になってきて、「東横インオーケー?」と言っている運転手に向かって「ごめんなさい。地下鉄で行きます」と言った。「ああ。」しばらく間が空いて、「さよなら」と運転手が言った。私も「さよなら」と答えた。

海東竜宮寺(ヘドンヨングンサ)は地球の歩き方で初めて知った場所だが、海岸に沿って建てられたお寺で訪れた人の願いをひとつだけ叶えてくれるパワースポットらしい。写真から広島の厳島神社のような外観を想像した。場所は海雲台から車で約30分のところにあるが、タクシーを断ってしまったため地下鉄とバスを乗り継いで向かうことになった。平壌冷麺は探すのに時間がかかりそうなので止めた。新海雲台(シンヘウンデ)駅に着いて半地下の駅に入ると、ダンキンドーナツの店舗があった。オールドファッションが食べたかったが売っていないので、チョコオールドファッションにした。すぐ食べますかと聞かれて頷くと薄い紙に入れて渡してくれた。ミニオンのキャンペーン中だった。5千ウォンで一日乗車券を買う。券売機には1万ウォン札が入らなくて両替機で千ウォンに崩した。新海雲台からセンタムシティ駅へ。

地下鉄でラコステの袋を持つ母娘を見た。センタムシティは世界最大のデパートとしてギネスブックに認定されている。また、映画の殿堂という釜山映画祭に出品された作品のみ上映する映画館があるらしいのだが、どこにあるのか分からなかった。センタムシティ駅からバスを使う。韓国のバスは乗車の時に料金を払うことは知っていたが、うまく払えなかった。眠気に襲われて何度かうたた寝した。停留所のアナウンスがあったがどこで降りればよいか分からないので、「海東竜宮寺2km」という看板が見えた直後の停留所で降りた。ロッテのショッピングモールが目の前にある。2kmならばじきに見付けられるだろうと思って歩き出した。

空きテナントを数軒過ぎた後、目の前に海が開けた。海雲台の海と違って磯臭い。海岸のせり出た地形が遠くに見える。看板の示す方向と反対だが、あそこが海東竜宮寺じゃないかと思った。写真ではああいう感じにお寺が並んでいた。それで近くまで行って確認したらただの出っ張っている海岸だったので、引き返して進行方向を修正する。漁船が見え、だんだんとすれ違う人が多くなってきた。浜には海苔が干してある。ピンク色のタコの絵が描かれた壁があった。しばらく歩くと漁港らしい海から海水浴場の景色になってきた。砂浜で遊んでいる家族やカフェを見て、いよいよ近づいてきたんだなと気持ちが高まった。ここまで観光らしい観光をしていないから、余計楽しみになる。案内板で現在地(You are hereと書いてある)を確認すると海東竜宮寺が遠く離れた地図の端になっていて、愕然とした。

目の前に広がっている海は松島(ソンド)海水浴場という。海開きはまだなので泳いでいる人はいなかったが、ウェットスーツ姿でサーフボードを抱えた人がいる。レクリエーションをしている男女がいたりドッジボールをしている学生がいた。ジャスミン茶を売っている屋台があった。軍服を着ていた人たちが黒いTシャツ一枚になり、相撲みたいなことをしてはしゃいでいる。顔に布を巻いた人が露店でばらを売っている。小さなハートのシール付きと付いていないものがあって、付いていないのを5000ウォンで買った。ばらは透明の小さな袋に入っている。何かを説明してくれたが、言葉から意味が受け取れない。f:id:columbia6421:20230726213136j:image5月の風が気持ちよく吹いて、日差しも穏やかだった。昨日の海もきれいだったなと思って海雲台の方へ進んでみたが、次第に寂しい景色になってきた。屋台で賑わっていた歩行者天国が終わって車道に変わった。3階建ての建物の1階に喫煙スペースがあってマールボロの箱を見た。煙草の灰が男性機能の低下を暗喩している。これ以上進んでも何も無い。近くの駅から都会へ行き、ホテルでゆっくりしたい。左折して海辺から街の方へ進むと大きな道に出た。地図や標識を頼りにして駅に着く。国道の風景は日本と近かった。松亭(ソンジョン)駅はセンタムシティ駅と比べると人が少なくて電車もあまり来ない。駅の待合室は広く新しかった。ここから教大(キョデ)駅を経由して釜山広域市の繁華街の一つである西面(ソミョン)駅へ向かう。釜山の中心部にこれまでで一番近づくことになる。優先座席に若い男女が座っていたが、高齢者が乗ってくると2人は同時に席を立った。動きがスムーズで、譲ることに慣れていると感じた。

西面駅直結の地下街は多くの店で賑わっている。フレッシュジュースのスタンドや靴屋、服屋があった。火の鳥を読み終わったので本屋で日本語の本を買おうかと思ったが、お腹が空いていたので先に飲食店を探すことにする。地上に出て青林という魚料理の店に入った。魚定食を頼む。「お酒は?ビール?」と聞かれる。「小さいのは?」「ない」「日本酒は?」「ない。焼酎?」座敷席は自分ひとりだった。魚定食は魚の刺身2種類とさんまの塩焼きが主菜。野菜の胡麻和えと胡麻豆腐、玄米のご飯、キムチが白い皿に盛られて出てくる。チゲ鍋は出汁が利いてとてもおいしいが、魚の骨で食べにくかった。キムチは私の口には少し辛い。口直しに胡麻豆腐を食べる。刺身もおいしい。醤油とわさびは日本と一緒だが、焼き肉みたいにコチュジャンとサンチュが添えられていた。焼酎は瓶で出てきたのでグラスに一杯だけ注いで飲み、残りはリュックに入れた。「ネ~」と聞こえる。客が来るたび「ネ~」と聞こえて「は〜い」とか「いらっしゃいませ」みたいな言葉だったのかなと思う。40~50歳ぐらいの客が2人座敷に入ってきて私の近くに座った。女将が来て少し話した後、2人は店の奥へ連れて行かれた。会計は2万いくらだった。f:id:columbia6421:20230726213334j:imageTOM N TOMS COFFEE(トムエントムスコーヒー)に入った。「アイスコーヒー」が店員に伝わらず「コールドブリュー」と言ってみたが、同じだった。困っているとメニュー表を持ってきてくれてやっと注文が伝わった。フードコートで使う、出来上がったら音の鳴る機器を渡される。アイスエスプレッソ。アイスコーヒーとは別のコーヒーなのだろうか。とても苦くて頭がしゃっきりする。駅の西側にはホテルばかりの通りがある。本を見ながら日本語可のホテルに電話したが、どこも満室だった。「韓国 宿無し」「釜山 宿無し」「釜山 サウナ宿泊」などとネット検索していると「シントンパントンチムジルバン」という24時間営業のサウナがヒットした。「チムジルバン」がサウナの意味。スターバックスの入ったビルの8階で、治安は悪くないと思う。

西面のメインストリートを散策している。ライブハウスの前を通ると、客が外まではみ出していた。古いゲームセンターに入るとキングオブファイターズ96と97が隣り合わせで置いてあり、頭文字Dも1台稼働していた。管理人室みたいな小さい部屋に中年の男が座っている。パンチ力を測定するゲームの周りを5人の若い男たちが囲む。1人がサンドバッグを思い切り殴ると9800いくら出て歓声が上がった。若い女の人がキングオブファイターズをやっている。なぜ日本の古いゲームを韓国の若い人が遊んでいるのだろう。レトロな文化として人気があるのだろうか。韓国でも新しいゲームはあるだろうから最先端の技術として扱われているわけではないのは分かるのだけれど、日本と韓国とを比較することがうまくできなくて少し混乱した。

串焼きの鶏肉と牛肉を売る屋台が出ていた。赤いソースがたっぷり塗られている鶏肉を選んだ。ママサンが何か質問をしてきたが答えられないでいると、いいよ、と手で示した。串は30cmくらい、コチュジャンソースが甘辛くて食べやすかった。地下街のYES24という本屋に入った。ジムジャームッシュのDVDBOXが70000ウォンだった。文具コーナーでマスキングテープを見ていると店員に声をかけられた。他の客にも何か言っていて、閉店の時間を伝えているようだった。店名から24時間営業かと思っていたが22時で閉めるようだ。

シントンパントンチムジルバンに来た。スターバックスと「ど う も」と特大サイズの暖簾を出した居酒屋が1階に入っている。飲み物を買うためコンビニへ行くと、店員がレジの後ろで椅子に座っていた。立ち上がると身長が165cmはある女性で年齢は私と同じぐらいだった。ハエを振り払って、踏んで殺そうとする。この店に入ったときに変なにおいがすると思った。ポカリスエットとキャメルを買う。この辺りは会社員が多くて、大阪でいうと南方だと思った。トイレに寄ってからエレベーターの8階を押した。後から乗ってきた2人は6階で下りた。8階でエレベーターが開くと立ち入り禁止のテープが張られていて、その先は暗闇だった。

ビルの前にベンチが2脚あり、スマホゲームをしている男の隣に座った。向こうのバーから店を宣伝する甘ったるい音声がずっと聞こえていて、その音声の後へなへなした効果音が流れる。男は会社員のようだけど、ずっとここに居るのだろうか。立ち上がって少し歩いた。キャメルの箱はクリーム色でかつお節の匂いがする。戻ってくると女性二人がベンチに座っていた。飲み物を一気に飲んでしまったのでまたコンビニに行く。さっきの店員が座って商品のちくわを食べていた。客が何人か入ってきてドアが内側に開けたままになった。店員が思いっきり閉めたので西部劇の酒場みたいにドアが揺れた。小さなカルチャーショックをたくさん受けている気がする。おーいお茶を買って店を出ると少し元気が出てきて、大通りで見かけたエンジェルホテルに電話することを思い付いた。

サラリーマン向けの飲み屋街から地下を通って駅の反対側へ行くと若者の多い、心斎橋みたいな街の大通りになる。地下街の店はこの時間ほとんどが閉まっていて、閉店した服屋の前で女性が何もせず座っていた。地上に出て少し歩いたところにエンジェルホテルがあり、そこで電話をかけた。海外で電話をするとかかる前にポーーッと機械音が鳴る。韓国語が聞こえる。「日本語で大丈夫ですか」「大丈夫ですよ」「今日泊まれる部屋はありますか」「今日は満室です」今日はどこかに泊まるのは諦めて明日の飛行機に間に合うように空港へ行ければいいかと思った。終電の時間が近づいているが駅へ急ぐ人を見ないのは、たぶんタクシーが安いからだ。昨日乗ったタクシーは、体感、日本で乗る時の半分ほどの料金だった。再びゲームセンターに入る。西面での数時間のあいだに落ち着く場所ができ始めていた。

私はキングオブファイターズの台に座り、餓狼伝説チームを選んでプレイした。ジョー・ヒガシアンディ・ボガードテリー・ボガード。1ゲームも取れずゲームオーバーだった。韓国で日本のコンピューターに負けたと思うと変な気分だった。男性がサンドバッグにパンチするのを連れの女性が見ている。このゲームをするのは日本でも韓国でもだいたい同じ人だと思う。この男も9800ぐらい出していた。

ゲームセンターの奥の方にカラオケボックスがある。ネットカフェの個室ぐらいの大きさに、1セットずつマイクと機械と歌本が置いてある。ドアーズのライトマイファイアを歌おうと思った。歌本が薄いから無いかもと思っていたが、入っていた。夜を燃やすという歌詞が印象的な曲だ。4曲で1万ウォン。お金を入れて番号を押しても曲が始まらない。画面には大きなバツ印が出ている。もう一度、二度やってみても同じ現象が起こった。やっているうちにお金を入れてからどのようにしてバツが出るのか理解できてきた。お金を入れるとハングル語の文が1つ出て、その下に1~、2~、3〜、4〜と文が出てくる。曲の番号の1桁目を押した時点でバツが出る。再度お金を入れると別の文章が表示される。流れは分かったが、実際問題、どうやったら歌えるのだろうか。初めの文は問題文、1〜…の文は選択肢で4択の選択問題みたいになっているが、もしかしてこれに正解しないとカラオケを歌えないのだろうか?他の室からは音楽が聞こえているが、彼らは正解したのだろうか?歌いたい曲(押したい曲の番号)は決まっているから、同じ選択肢しか選べないのじゃないか。私は頭が混乱してきて、部屋を出た。でも店を一周した後に諦めきれず別の室で同じことをした。やはり4択になってそこから先へ進めなかった。

駅の近くのライブハウスから音が聞こえてくる。終電後の街にまだたくさんの人が歩いている。HOLIDAY CAFEという店に入ってみる。アイスカフェラテを買って2階の席に座る。変圧器とモバイルバッテリーをコンセントに差し込んで時計を見ると夜中の2時だった。近くの席では男の人がパソコンで曲を編集している。女の人が2人で入ってきた。1人は仕事を始めて、もう1人は席に着くなり机に伏せて眠った。私はSNSを見たり音楽を聴いたりして眠気に耐えていたが、トイレが使えないので席に物を置いて外へ探しに行った。青い屋根の店の前で男女が話していた。女の人は煙草を吸っている。公園の植え込みいっぱいにパンジーが咲いている。道を曲がると知らないところに出たが、歩き疲れていてこれ以上散策する気になれなかった。カフェに自分の席があることや周りに作業する人たちがいたことが、ふと嬉しくなった。仕事で終電を逃して、カフェで仲間と粘っている自分を想像する。悪い気持ちではなかった。仲間意識を持つというのはこういう感じなのだろうか。遅くまで働いたり外で遊んだ日にタクシーを安く利用できるのはありがたい。でも便利さがタクシー会社で働く人たちを苦しめてもいる。社会の問題について考えて自分の意見を闘わせてもいい、と今思っている。これまであまり抱いたことのない感情だった。誰かに迷惑をかけたという記憶がここには無いからだろうか?私はここで、誰からも、何も奪っていない。

2階を清掃するため1階に行ってほしいと言われた。移動するついでにパニーニを買った。男性と女性2人は帰り支度をしていた。コーヒーを飲み終わって店を出ると、雨が降っている。店の前で女性が男性に怒って、そのあと笑っていた。

人通りが減ってすっかり静かになったメインストリートで、業者が屋台を片付けている。飲み屋街に男が数人溜まっていて、ポロシャツを着た一人が近づいてきた。マッサージ、アガシ、と小さい声で言って私の腕をつかんだ。その男が言うアガシの意味を私は理解していたから、ちゃんと聞き取れた唯一の韓国語かもしれない。私は男の腕をつかんで離し、小さく会釈して再び歩き始めた。途中でゴミ捨て場に焼酎のビンを捨てて、空港へ向かう最後にコンビニへ行った。店員は手元が狂って店の商品を壊し、クソ、みたいな事を言って財布からお金を出していた。私は店員にインスタント麺(ラミョン)、おいしい(マシッタ)、お土産(ソンムル)と言った。店員とインスタント麺のコーナーに行ってこれは何々、これは何々と説明を聞いた。一方は日本にある商品だったのでもう一方を2つ買ってお土産にした。店を出る時、店員が白人の客に接客を褒められているのを見た。商品の場所を教えたが違う方へ行かれて怒りを露わにする店員の動きが外からでも分かった。

西面駅で金海国際空港行きの切符を買う。駅の階段で前を歩いていた男の鞄が女性に当たった。女性は黙って顔を抑えている。沙上(ササン)駅で空港行きに乗り換え。プラットホームまでの移動通路で前の女性が怒鳴っている。彼女は後ろを振り返って一度黙り、前を向き直した後、再び怒鳴り始めた。9時5分の飛行機で日本に帰った。朝の空港は賑やかだった。f:id:columbia6421:20230726214730j:image

ばら園

16時に仕事が終わってそれから友だちの家に行った。私の家の最寄駅から3駅離れたところにあるのだが、自転車で行った。友だちの家は駅からかなり離れた、ばら園の近くにある。

高校3年の時、友だちと同じクラスになった。ダウンタウンの話で仲良くなった気がする。『古賀』というビジュアルバムに入っているコントと、ガキの使いで松っちゃんが受験してない大学の合格発表を見に行く回を教えた。友だちからは辻武司というごっつええ感じのコントを教えてもらった。
友だちは陸上部の選手で、学校で年1回行われるマラソン大会でいつも上位に入賞していた。友だちと廊下にいると陸上部の後輩が現れて、からかったりからかわれたりするのを見ることがあった。部活に入っていない自分には、まぶしいようなうざったいような感じがした。友だちと後輩との会話を観察してポイント化し、会話が終わってから「先輩風を~回吹かせてたな、ポイントが累積してきてるで」などと勝手に言っていた。
私は昼休みに弁当を食べた後、図書室へ本を読みに行っていた。部活を引退すると友だちも一緒に来るようになった。Fというテニス部の幽霊部員とMという野球部の補欠の友人を連れて来、赤本を出してしゃべっていた。図書室でひとり本を読んでいるというのに憧れのあった私は、それを邪魔されているように感じていた。何回か「俺は一人で図書室に行きたい」と主張したが通らなかった。半年くらい行ったが、『間宮兄弟』と『変身』の2冊しか本を読み切らなかった。

技術の授業で、パワーポイントのスライドショーを使って発表をするという課題が出された。友だちと、クラスの人を笑わせるような面白いスライドを作ろうと言う話になった。私は宮本武蔵が実は卑怯者だったという話をもとにスライドを作ることにした。友だちは沖田総司が実は不細工でヒラメみたいな顔だったという説がテーマ。二人して放課後、ウィキペディアとか本とかで歴史上の人物の裏話を調べた。宮本武蔵が後ろから木刀で殴って勝ち星を稼いでいたことを記した資料が出てきてこれはいけそう、と思った。
当日は自分の発表が先だった。面白いと思ってるところで笑いが起こったが、思った量の半分ほどだった。人気のある生徒はAV女優とかクラスのからかいやすい生徒とかをスライドショーで使って笑いを取っていた。笑ったけど面白いってそういうことなのかなあ、と思った。
友だちの番が来た。発表が始まって1枚目のスライドで概要を説明している最中に、スライドが2枚目に行ってしまった。パワーポイントのスライドショーは一定時間が経過すると次のスライドに進む。自分のタイミングで次のスライドにいきたい場合は、マウスをクリックするかエンターキーを押すかで次に進む設定にしておかないといけない。友だちはそれを忘れていて、どんどんスライドが進んでいく。友だちは早口で説明して、面白い部分である「ヒラメ顔だったんです」のところに間に合った。「ヒラメ顔だったんです」と左からフェードインしてくるスライドに追いついて言ったのだが、そこまでの説明が早すぎて間に合ったこと以外何も分からなかった。帰ってくるときの不服そうな顔を見て面白いなと思った。

なにかの帰りに私と友だちとMとFともうひとり卓球部のFと、近づくとマッドタイプのヘアワックスの匂いがするKと六人で公園へ行った。そこで、クラスでかわいいと思う女子の名前を言い合うことになった。言い出したのはKだ。私は「みんなが言うなら言う」と言った。みんな言わないと踏んだのだと思う。しかし、Kが「〇〇さんかわいいと思う」とあっさり言った。クラスで人気がないくせに、ませていることを忘れていた。そこからみんながかわいいと思う女子の名前が飛び交った。友だちも誰かの名前を言っていた。私だけ言えなくて焦っていたらKが「じゃあギャル系が好きか清楚系が好きかだけでも言って」ときたので「清楚系ってなんやねん」と言って逃げるようにして帰った。Kは高校を卒業した後一浪して東京の大学に行って政治家の秘書のバイトをした。
翌日、好きな人言うのは分からんし無理と言うと、お前は勘違いしている、昨日は好きな人じゃなくてかわいい人の名前を出すだけでよかったのに、と言われた。私はよく分からなかった。かわいい人の名前を言うのは好きな人の名前を言うのと同じじゃないのか。好きな人とかわいい人の違いがよく分からない。加えてその場にいない人、特に異性の名前を出すのがうまくできなかった。聞かれているのに答えられなかったり、聞かれていないのに言ったりを今もする。クラスによく話す女の人がいた。キングクリムゾンの1stが入ったMDを借りてベックのオディレイが入ったMDを貸したことがある。ザ・フーを聴いたら元気になると言ったら笑っていた。その人の名前を出さなかった。その人は友だちと話しているときに多分私の名前を出していなくて、自分のことを話していない人の話をするのは私の中で恥ずかしいことだった。

あまり垢抜けない公立高校に通って楽しかったのだけど、少し垢抜けている人とか不良っぽい人とかが人気のある生徒になっていることが不満だった。不良だったら全校集会を開かせろよと思っていた。自分に人気がなかったから、せめて人気のある生徒より面白いと言われたかった。人気のある生徒に、自分は面白くないのに人気があるのだと引け目を持ってほしかった。高3の時は中学からの同級生が同じクラスで、たまに話した。同級生はクラスで人気があって、話している私にまで注目が集まっていると感じ、その時はつまらないことを言ってはいけないと力が入った。常に人から見られ聞かれている、面白くないと思われてはといけないと意気込んで生活していた。高校のとき書いていた日記には「この人にこう返したのは間違いだった。自分のこのつっこみは良かったと思う」などの書き込みがたくさんしてある。一緒にいる仲間もクラスの人から面白いと言われてほしくて、クラス全体で集まっているときにあまりしゃべないでいるのが歯がゆかった。当時は魔法のiらんどなどで作ったホームページに日記を載せるのが流行っていた。流行には乗らなかったが、その日一緒にいた人のページを見て何を書いているのかよく確認した。自分が面白かったなという日にそのことを書いている人がいないと落ち込んで「面白くない人が面白くない人から支持を得ていておもしろくない」と頭の中で話を締めくくって寝ていた。
何をそこまで執着していたのか。今考えると、自分がなかったことにされるのが怖かった。それで面白い人という印象だけでも記憶に残ろうとした。同じくらい、記憶を悪いものに変えるのが嫌だった。話しかけてくる人がいると、話しかけてきた理由、自分に対する期待みたいなものを考えた。その人が自分に持っている印象を判断したらそれに沿おうとした。これをしたら期待を裏切る、と推察したことは出来なかった。面白いという印象で話しかけられたと判断することが多くて、その場合は何とかして面白いことを言いたかった。笑いづらくなると思ったのでその人に深く干渉することを避けた。たまにそういうのが苦しくて嫌なことを言いたくなるのだが、クラスの人の見ている前ではできなくて、その人にメールで面白くない文を送ってしまうことがあった。よく覚えていないが、送った意図が読み取れなかったり暗い印象を持たれる内容だったと思う。反応は無かったり、有ったとしても否定的なものが多くて、次の日会った時に態度がよそよそしい気がする。後悔して、変なことはもうしないと思う。でも同じことを何回かやった。

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高校を卒業してから大学へ行くまでの間、本屋でアルバイトをしたが1か月もたずに辞めてしまった。5000円の図書カードを、全額使い切る用のカードリーダーに通そうとしたのを直前に手で止められてその日の終わり、遠まわしに辞めてくれと言われた。MAJORという野球漫画が5冊万引きされているのに気づかなかった日もあった。怒られながら隣の携帯電話屋で青山テルマの曲が何回もかかっていた。

大学に入学して数日は中学の同級生と部活やサークルを見学して過ごした。その同級生とは高校は別だったがたまに遊んでいて、好きな音楽を教え合ったりしていた。リンキンパークとかリンプビズキットとかゼブラヘッドとかを教えてもらって、大学へ行ったら音楽やろうと盛り上がった。二人でいくつかあるバンドサークルの1つに入って、新入生のライブに出た。私はギター同級生はベースでバンドを組んでエルレガーデンの曲をやった。同級生はそのあと部活を辞めたが私は辞めなかった。自分と趣味が合いそうな人が数人いたし面白そうと思う先輩がいた。友だちは自分より少し偏差値の低い大学に入って、大学とは別のところがやっている、小学生の課外活動を引率するボランティアサークルに入った。そこでは初めに呼び名を付けるらしかった。変なの、と思った。

大学で友人ができなくて時間があり、よく友だちと映画を観に行った。松っちゃんの『しんぼる』と『さや侍』と三谷幸喜の『ザ・マジックアワー』を観た。『ザ・マジックアワー』の、佐藤浩市がナイフを何回も舐めるシーンで笑った。友だちは松っちゃんがやるみたいに腕を曲げて関節の部分で口を押えて笑う。

友だちはパチンコを始めた。私も一緒に行ったことがある。稲中卓球部の1円パチンコ(1円につき1つ玉を使えるので4円で1つ玉を使う4円パチンコよりも長く遊ぶことができる、ローリスクローリターンのパチンコ)を打っていたら確変大当たりが出て、主題歌である筋肉少女帯の「踊るダメ人間」が流れた。玉がたくさん出て止まらなかった。閉店の少し前に行ったので確変の途中で店員に店を出るよう言われた。その後エヴァンゲリオンの劇場版を観に行った。パチンコで勝っている時は奢ってくれることがあったが、当たりが終わらなくて約束の時間に遅れてくることもあった。私は時間が惜しいという意識があってその後はしなかった。
友だちはよく宝島社のミステリー小説に選ばれる本を読んでいて、貸してもらうことがあった。有名な文学作品を読むようになってからは宝島社のミステリー小説と、それを読む友だちを馬鹿にした。

友だちの家の玄関には浜田省吾のポスターが貼ってある。当時は私の最寄りから一駅のところに友だちの家があった。
2人で「バーチャルプロレスリング2」というニンテンドー64のプロレスゲームにはまって、私は「ニクソンブレイシー」というヒクソングレイシーをモデルにしたキャラを気に入って使った。コントローラーのBボタンを長く押すと出せる強パンチが当たると何回かに一回相手が失神する。そこだけリプレイが流れるのが面白かった。失神した状態で少しするとTKO勝ちになる。友だちは主にミルマスカラスをモデルにした覆面レスラーを使って、Aボタンで組み技をかけてくる。組み技で倒れた相手に近づいた状態でAボタンを押すと出せる絞め技で、ギブアップを狙う。やってるうちに熱くなってきて、組み技を掛けるときの手を掴んで肘をねじる動作を指して
「その、こねるみたいな技やめろおもんないから」と非難した。友だちは友だちで
「お前がやってるのはプロレスじゃない」と言ってきた。
1個白星が先行したら負けてるほうは正座しながらゲームしなければいけない、2個先行なら負けてる方は勝ってる方に敬語を使わないといけない、3個負けてる方は勝ってる方がつまらないこと言っても笑う「接待ゲーム」をしなければいけない、とか勝手にルールを付けたりもした。3個負けているときは「その服新しく買ったんですか、お似合いですね!」と言いながら画面上で相手を殴りまくったりロープで反動をつけた打撃を喰らわしたりしていた。
勝負がつくと、試合終了までにかかった時間と「〇〇、××に辛くも勝利!」みたいにスポーツ新聞の試合後の記事を模したものが表示される。一度、すごい速さで試合が終わったことがあった。試合開始直後私のニクソンブレイシーがタックル攻撃(Cボタンでダッシュダッシュした状態でBボタンを押すとタックル攻撃。一度で相手を失神させることがある)を仕掛けたのに対し友だちがタイミングよくAボタンを押し、ミルマスカラスが掴んでカウンターで引き倒す。そのまま固め技を決め3カウント勝利した。自分たちでやっていながら何が起こったのかわからなかったのだが、試合後の画面で「試合時間4秒ニクソンブレイシー、瞬殺!」と出てやっと状況を理解し、しばらく笑った。

大学に慣れてくると、家で遊ぶというよりは空いた時間に喋るぐらいで済ませることが多くなった。場所は友だちの家と私の家のだいたい中間に位置する公園で、真ん中に池があった。帰りは話を伸ばしたり切り上げたりしてお互い自分の家の近くで解散しようと画策した。友だちは引率する子供たちがいかにかわいいか語った。羨ましいとは思わなかったけれど、楽しくやっているなと思った。自分は軽音の話をよくした。2回生の終わりに部活を選んだきっかけである先輩とバンドをやることになった。先輩と遊んだり知らないバンドを教えてもらったりしていると自分も面白い人になった気がして得意だった。
大学に入って変わったのが、友だちとは女の人の話をするようになったことだ。アルバイト先で知り合った人と心斎橋にバンドのライブを観に行って物販のTシャツをおそろいで買ったとか、マクドナルドでヨーグルトシェイクを飲んだとか、楽しかったことを話した。でも、その人が伏見稲荷で狐の煎餅を売っている店に入った時に「これ会社の同期に買おう」と言っていて、ああこの人は違う集団の人なんだと思って落ち込んだこととか、喋りたいからお腹が空いたと嘘を言ってレストランに行ったけど話題がなくてドリアを無理やり食べながら就職活動の相談をしたこととか、その楽しさや面白さを伝えるのに邪魔になるようなことは迷った結果、言わなかった。友だちは、サークルで知り合った女の人とUSJに行った話をした。私は、聞きながら自分の話している人の方が素敵だと思っていた。友だちの方も同じで、聞くというより自分の話すタイミングを窺っていたんじゃないかと思う。女の人の話ができたのは、もう違う集団の人だったからかもしれない。

ぼんやりしていた友だちの嫌な部分が明確になってきて、卓球部のFと三人で会った時に友だちがFからよく金を借りていてその日も5万円借りようとしているのを知った。友だちとFはよくパチンコを一緒にしていて困った時は貸し合っているらしい。二人のお金の貸し借りを見たくなかった。
「俺のいるときには借りないでくれ、それにお前も貸すなよ」
「うーん、はは」
「お前には関係ないやろ」
「人から借りた金でボランティアするな」
「お前には関係ないやろ」
と、3人で居たイオンのゲームコーナーで友だちと言い合いになった。
ついにはメダルゲームの機械のところで
「お前は悪いやつじゃないけど金に汚いな」と言った。
「は?」
Fが笑った。
「悪いやつじゃないって付けてるだけでものすごい否定をしてるやんな」とFは言った。
その時の友だちの顔を思い出すことが出来ない。結局Fはイオン銀行でお金を下ろして友だちに貸した。

大学を卒業してから、週5日で働けるアルバイトを始めた。地元のスーパーの鮮魚部門の塩干という、塩鯖とかいかなごくぎ煮とか数の子とかを扱うところで、商品をパックに詰めて並べたり客の質問に答えたりするのが仕事だった。アルバイトを始めてから少しして、土曜日にやっている構成作家の養成講座へ行き始めた。お笑いとかお笑い番組をやりたいと思ってネットで検索した。事務所にもよるがお笑い芸人の養成所に通うためには40万円とか60万円を一括で払わないといけない。私の見つけたところは6か月10万円、それも分割で払うことが出来たので、そこならば通うことができた。大喜利を作家の先生に見られながらやったり自主公演をやっているプロレス団体の試合を見学したり新世界でやるキン肉マンのイベントを手伝ったりした。通っていたのは私を入れて三人。
このことを牛丼屋で友だちに言った。
「前からお笑い好きやったもんなあ。でも、自分が一番面白いっていうのは、大阪の人やったら誰でも一回は思うことなんちゃう」
「そうかなあ」
店を出て自転車に乗って互いの家の中間地点まで帰った。友だちは引っ越して家が前より2駅分遠くなったので中間地点をどこにするか迷った。途中友だちが、「あいうえお作文やろか」と言い出した。モノレールとか、大阪大学とか、目に付いたもので延々あいうえお作文をした。

友だちは欠席を繰り返して大学を留年になり、親に休学させられた。

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秋ごろ、友だちに呼ばれて公園へ行った。いつもはふざけたやりとりをしているのにその日は「お疲れ、今日公園来れる?」と用件だけで、変だなと思った。アルバイトが終わって公園に向かった。空が曇っていた。そわそわしていて私にもそれが伝染する。友だちは立ち上がって、「走ってくる」と言った。池の周りはランニングコースになっている。うんと言ってベンチから友だちが走っているのを見た。帰りたいと思いながらも動けなかった。池の周りを一周して帰ってきた友だちはちょっと休憩して、「2万貸してくれ」と頭を下げた。なんとなく分かっていたけどやっぱりそうか、と思った。なんとなく私が分かっていたことに気づいてくれているかな、とも思った。友だちは何を思って走っていたのだろう。私の反応を考えていたのか、金の使いみちのことを考えていたのか。どれとも違うことか。何も考えていなかったのか。貸してやることにした。自転車で移動して金を下ろし友だちに渡した。そのあと近くにあるラーメン屋に入った。私はとんこつラーメン、友だちはとんこつラーメンとライスを頼んだ。ラーメンを食べながら私にも話すタイミングを窺っていることがあった。

夏ごろに付き合う人ができた。私は社員に誘われた飲み会へ行き、そこにいた、別の店舗で働いている女の人と話した。何回かメールをしたり食事をしたりした。このことは既に言っていて、友だちは、3回会って告白しなかったらその次はない、とボランティアサークルの先輩から得たと思われる情報を教えてきた。ばかかとその場では笑っていたが、私は焦り実行に移した。それで夏から秋にかけて自転車や電車でどこかへ行ったり彼女の家に居たりした。
友だちに金を貸す数日前のことだが、彼女が私と付き合っているということを職場で言ったらしい。それが私を飲み会に誘った社員を経由して広まっていた。鮮魚部門の社員には、もともと会社員として雇用されて配属された人と、魚屋で働いていたが何らかの事情でここにきた人がいた。雰囲気や話し方でなんとなくそれが分かった。嬉しそうな人の多くは前者で、きたないと思った。彼女に対しては思い出とか職場の話題とか、付き合ってると言いたいがために付き合っているんじゃないか、という気持ちが生じた。それは自分の中にある考えだった。私は広まるのがいやだと思っていて、ということは自分にはこの人と付き合う気が本当はないのかな、とも思った。彼女にこのことは言えなかった。
これを聞いた友だちは、彼女がおるだけええやんか贅沢やで、と言った。家に帰って友だちがボランティアの人とフォローし合っているツイッターを見たら「友だちがこういう話をしていた、甘えるな彼女がおるだけで幸せやっちゅうねん」と書き込みをしてボランティアの女が共感する旨をリプライしていた。投稿された時間はだいたい自分と一緒にいる時間だった。私は面白くもないのに笑った。後日彼女に会った時「2万円を貸した友だちに説教されてネットに悪口を書かれた」と良いように改変し彼女に不信感を持ったことを伏せて話した。彼女は憤慨してくれた。友だちにツイッターのことは言わなかった。

2万円を返してもらう日、ついでに風呂に行こうかという話になってスーパー銭湯で待ち合わせをした。夜、待ち合わせの時間を過ぎても友だちが現れない。電話すると互いに自分の家に近い銭湯に行っていることが分かった。どこの銭湯に行くかちゃんとは決めていなかったが、メールを見返すと、友だちの待っている銭湯の方が待ち合わせ場所として正しいことに気づいた。ただ私は友だちの方に行くのが嫌で、借りたんだからおまえが来いと言った。友だちは不服な顔で自分のいる銭湯に現れた。金を受け取って風呂に入って帰った。

11月に講座に行くのをやめた。読者モデルのファッションショーの手伝いをする予定があって、どうしても参加したくなかった。12月に修了するまでは土曜日の19時から講座があったのだが、親にやめたと言えなくて普段と同じ18時ぐらいに家を出て22時ぐらいまで時間を潰していた。最後の日も家から歩いて1時間ほど離れたところにある川の堤防に座っていた。作家の先生がメールをくれたが返さなかった。アルバイトもやめることにした。お金が貯まったから職業訓練に行ってパソコンの資格を取る、と親に言った。社員にも同じことを言った。職場の人が今後について質問をしたり食事に誘ったりしてくる。話しかけてこないでくれ嫌な気をしたくないしさせたくないからと思っていると、人と話すのが脅威になった。その人に悪意があるかどうか、会話の最後になってみないとわからない。今後のことを決めていない私が何を答えても嘘になる。それでも気にかけてくれている人がいるかもしれないと思って喋った。

12月に1週間かけて北海道を旅行した。帰ったあと付き合っている人と会い、旅行のお土産を渡した。出発の前日まで旅行に行くことを言っていなかった。その日の晩にメールが来て今後は会わないことになった。1月から職業訓練へ行ってパソコンの資格を取ったあとそこで雇われた。翌日の準備を終えて職場を出ると帰宅が夜10時を過ぎることもあった。その分、私にとって高い給料が毎月振り込まれた。春になって友だちに6000円貸した。貸すことへの葛藤があまりなくなっていた。友だちが池の周りをマラソンをすることもなかった。興味を持っていたハンターハンターを全巻貸してやる。このころiPhoneを買って友だちと話す手段がLINEになった。
友だちから、健康診断で必要だから金を貸してくれとLINEが来た。私は6000円が返っていないことを理由に断った。以来友だちとは会っていない。卓球部のFに聞いても連絡がないという。8月だった。

私は自分のことを裏切られた、金以外に用の無い人間と思いたくなかった。それで友だちに金を貸して逃げられたという冗談として人に話そうとしたのだがうまくできない。友だちは保育園で働いていて6000円は給料の1日分にも満たない金だから、返せないわけではなかったと思う。金のことはただのきっかけで友だちは私とのかかわりを断ちたかった、これが可能性の高い事実だった。金以外にも頼りになるほど私が友だちとの関係を大事にしていたかというと違った。喋っていてなんのために俺はこいつと会っているんだ、時間を引き伸ばすために喋ってるだろという気持ちで話を聞いていることがあった。
それでも自分の価値みたいなものを諦めきれなくて経済的な理由、もしくは友だちのどうしようもない事情とかであればいいなと思った。6000円返せないほど困っていてほしい。友だちが心配という気持ちはあってこれも嘘ではない。友だちの家に行ってみることにした。2月になっていた。

仕事が終わって自宅の最寄り駅から、引っ越して3駅離れたところになった友だちの家に自転車で行った。電車で行かないのは家が駅から離れたところにあって行き方がよく分からなかったから。スマートフォンの地図アプリで見ると20~30分の距離だが1時間以上かかった。これまで自分の家の近くで待ち合わせてもらっていたから困ることはなかったが、一人で行くと道を覚えていなくて何回も引き返した。途中にあるココスや公園は覚えているので何とかたどり着いた。ばら園が見えて友だちの家に来たという感じがする。
家の前に着いたものの、どうしたらいいか分からない。そういえばチャイムを鳴らしたことがなかった。ドアの前を通ると一回一回防犯の電気が灯く。安心したのは家が無くなっていなかったことだ。けっこう最悪のことを考えていて、家庭の問題で友だちがどこかに消えてしまったんじゃないか、とまで思っていたので家と家の表札を見て安心した。近くの公園の遊具のところに座って再度家の前まで行き、自販機で買った100円のコーヒーを飲んでからチャイムを押そうと思って畑の前に立っていた。
ジョギング中の男が自分の姿を見てUターンして別の方向に走って行った。私は、友だちだ、と思って自転車に乗った。男は歩いていたため追い付くのは容易だった。追い越して「オ」と言いながら顔を見たらマスクで顔の下半分が隠れていたが、多分違う人だった。オイって言わなくてよかった。家の前に戻ったが、決意が揺らいでしまって腕を組んだままウロウロしているとドアが開いて友だちの父親が出てきた。
「すいません、」
「はい」
友だちは元気で今は夜勤に行っているらしい。また連絡するよう言うときますわ、と言っていた。何しに来たのかは言えなかった。

国道に出たら迷わず帰ることが出来た。

戦大喜利


2016年3月26日土曜日に「戦-大喜利団体対抗戦2016-」という茨木クリエイトセンターで行われた大喜利のチーム戦にパンケーキ大喜利という団体(fromyoh、まな!、田んぼマン、卵焼兄妹[私])で参加しました。
結成というか自分が参加することになったのは10月にツイッターのDMで田んぼマンさんから誘われたのがきっかけ。以前鴨川タッグマッチというイベントに誘われていたのだけど、その年は開催されなかったのでやっと組めるなあ、と思った。ただ、戦大喜利に出る資格の一つである「共通して参加している企画、ライブ、イベント」が思い浮かばない。もう一つの応募資格「大きな大喜利大会に一緒に参加した経験」も。まあいいや、と思って1か月ほどそのままにしていた。11月ふたたびDMがあってパンケーキ大喜利で出ましょうと言われた。一緒のタイミングではなかったが、自分も田んぼマンさんも参加したことがある。田んぼマンさんは主催のfromyohさんを誘って許可を取っていた。同じく参加したことのある、まな!さんも誘っていて予定が合えば出られるという。なんかこのメンバー良いなと思って出ることに決めた。多くのチームがすでに団体として認識されているので人を集めるのは大変だったろうと思う。波紋というか色の違うというかとにかく変な存在になれたらなと思った。

fromyohさんは大喜利に参加する人の中でも1、2番目ぐらいに一緒に遊んでいる友人。以前神戸に行って海が見える喫茶店でケーキを食べ喋っていたら店員が近づいてきてテーブルの真ん中に火の灯った蝋燭を置かれた。大喜利の印象を言うと他がしない方法でおもしろみを出せる人だと思う。もちろん皆が皆独自にやってるのだが、その中にも共通項みたいなものが見えてくる。yohさんは意図的か自然にかそこに左右されずに出来ているところが有って羨ましいなと感じる。その分思った反応との間にズレが生じることは当然あって苦しんでいるのを何度か見た。バランスが取れたのかこちらが追いついたのか最近は喜ぶ姿を見ることが増えた気がする。まな!さんと組むことになって、大袈裟ですが、この人と大喜利出来るありがたみを噛み締めなければ、と思った。以前永久保存さんがまな!さんの似顔絵をツイッターに載せていたことがあり、3人で喋っていた時にその話をした。まな!さんは気に入って画像を保存したらしいのだが見せてもらうと永久保存さんの描いた絵とどこか違う。聞くと髪の毛は画像編集アプリを使って自分で塗った、と言うので笑った。優しさが次のステージに進んでいる感じがする。大喜利は自分に対して容赦ない・熟考するという印象で回答に納得いかなければ0答も辞さない人というイメージがあった。頭に残る回答が多くて初めて大喜利イベントに参加した時のまな!さんの回答は今でも覚えている。田んぼマンさんと初めて会ったのは第二回未来杯の時で休憩中に「クイズヘキサゴン2で自信を持って答えたのに不正解で納得がいかない時の、つるの剛士の顔」をモノマネしていた。穏やかな印象で不安なときに話すと落ち着きを取り戻すことができる。自分にとって良い(と思っている)時も悪い(と思っている)時も一貫して支持してくれた人でがっかりさせたくない。たぶんチームでは一番安定して票を得る大喜利ができる人で笑いを取る早さでも笑いの大きさでもどのようなルールにおいても簡単に負ける姿が想像できない。面白いのに加えて優しい・かわいい印象を示せるところが稀有でイメージに残りやすいと思うのだが、時々出すそれを裏切るような狂気が滲む回答も魅力。

昼の本番に備えてお粥さん主催で練習会が行われた。希望者はテーマを伝えるとお粥さんがそれに合わせたお題を考えてくれる。自分は「映画お題」をお願いした。朝5時前に目が覚めたが、出るころには8時を過ぎていた。水筒に熱いお茶を入れて前日平和堂で買っておいたファミリーサイズのチョコレート(あまおう苺の味が半分入っている)をカバンに入れ家を出た。飲み物や食べ物を気にしてしまう。ファミリーマートで季節限定クエン酸入り野菜生活と大きいサイズのポカリスエット岸辺駅に着くまでに野菜生活を飲み干す。JR岸辺から茨木駅は二駅だから近いのだが、かなり時間が迫っていて間に合わない。連絡を入れる。岸辺駅セブンイレブンいろはす炭酸レモンを買う。

約6人ずつ3つのテーブルで合計20人ほどが参加。別のテーブルだったが田んぼマンさん、fromyohさんも参加していた。まな!さんが後から見に来た。同席は宇多川ぱるるさん、星野流人さん、お粥さん、アスワンハイダムさん、自分、タミフルロケットさん。練習会の前半は、6人でそれぞれに作ってもらったお題に回答しながら本番の形式に頭を慣らす。時間は戦大喜利と同じで1題につき3分。最初にやったお題は「MGM社のライオンの咆哮、東映の荒磯に波、とはひと味違う映画会社のオープニング。」これがお願いしていた「映画お題」。ライオンの咆哮、東映の荒磯に波、の画像も印刷してくれていた。「面白さのグラフ」「OLがえびの天ぷらを揚げている(絵回答)」等出す。スポーツライターが「何て配置だ」と言った。どのスポーツで、どんな?というお題もあったな。「野球。王貞治の軸足をみんなで蹴っている」という回答を出した。動物園の飼育員が〇〇に〇〇ていました、というお題に「(昼)に(ステーキを食べ)ていました」と答える。宇多川さんが「(フラミンゴ)に(ローキックし)ていました」と言うのに笑う。後半は同じテーブルで練習していた6人で前に出て3分×2題の大会形式の大喜利をする。残りの2テーブルの人たちが審査し6人のうち得票の多かった2人が決勝に進出。1題目はつるかめ算、たびびと算、みたいな〇〇を求める○○算、というお題。「宇宙人にさらわれる人と言葉の訛りの関連を求めるUFO算」の1答しかできなかった。3分で1答というのは少ない。多く答えている人を1答で上回るにはかなり大きな笑いが求められる。2題目は2人の男が万歳をしている画像。手の重なるところに何か紙がある。画像を記憶で描いた。「ダブルユーです」「直後に狙撃で死んだが良い写真だったのでそのまま遺影にした」と答える。タミフルロケットさんの「元気玉のトロ(手が重なっている部分を指して)」という回答がすごかった。宇多川ぱるるさんとタミフルロケットさんが決勝進出。個人的には本番に向け不安だった。優勝はネイノーさん。終わってスパムちゃんさんと喋った。

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多目的ホールに移動し受付を済ませ席を取る。開始の12時まで少し時間があった。コカコーラが飲みたい、と言ってfromyohさんとまな!さんについてきてもらう。施設内の自動販売機にペットボトルのコカコーラがなく外に出る。外の自販機でfromyohさんがペプシコーラを見つけてくれたが、コカコーラじゃないとだめと言って買わずに席に戻る。近くのファミリーマートへ行くことにした。「風邪で寝ていてポカリスエットが欲しいと言っているのに母親がアクエリアスを買ってきたらいやじゃないですか。それと同じですよ。」と言った。1階に田んぼマンさんがいて同行する。コカコーラとおにぎり2つを購入。前に海苔が歯に挟まって困ったことがあって炒飯、オムライスという海苔の巻かれていないおにぎりを選んだ。食べながらクリエイトセンターに戻る。途中で宇多川ぱるるさんと3人になる。東京の大喜利に参加した話を聞いた。165席ある多目的ホールのほとんどが埋まっている。席に着いた時さっきの自分の言葉で心配をかけたな、と思った。まな!さんが作ったバッヂをTシャツに付ける。

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サイトから戦-大喜利団体対抗戦2016-のルールを転記します。赤い字は自分のコメント。
(総勢24団体を「い」「ろ」「は」「に」の4ブロックに分け、1ブロック最大6団体で対戦する。
ブロックの座順はランダムで決める。
※席順は前日までに行う配信内で決定する予定
「い」ブロックが試合中は「に」ブロックが審査。
「ろ」ブロックが試合中は「い」ブロックが審査。
「は」ブロックが試合中は「ろ」ブロックが審査。
「に」ブロックが試合中は「は」ブロックが審査。
自分たちの出番は2番目「ろ」グループ。その後で3番目「は」グループを審査。
お題は全8問で回答時間は3分間。最終的に得点の合計数が多い順から各ブロック2団体が勝ち上がり、8団体が本戦に進む。予戦は前半と後半に分かれ、前半の6問はそれぞれの団体が順にお題を選択し得点を奪い合う「点取り合戦」
後半の2問は全団体共通で高得点お題に挑む「下剋上好機(チャンス)!」 となる。

点取り合戦
各団体が順にお題の選択権がある「親」となり、それ以外の団体は「子」となる。 ※客席から見て左から順
お題選択パネルには「得点」と「ノルマ人数」が記してある。
得点を獲得するには、6名の審査員が上げた自団体の色札の数が、ノルマ人数(★で表され、★★=2人)に達する必要がある。
獲得する得点は、「親」がパネルに記された得点そのままで、「子」はその半分となる。
※記された得点が「30」の時、子は「15」
どの団体もノルマに達しなかった場合は、得点の変動はない。これを6問(6団体)繰り返す。
下剋上好機(チャンス)!
 各団体共通で大逆転が可能な得点のお題を2問続けて行う。このお題では「親」「子」の区別は無く、ノルマを達成すれば全ての団体が同じ得点を獲得することが出来る。
通常100点を取るためには「親」の時に100点のお題を選択し、「6人中5人の票」が必要になる。これに対して下剋上チャンスでは「親子を問わず」「6人中4人の票」の達成で100点が入る。難しいことに変わらないが、通常より得点へのハードルがかなり下がる。

回答者について
親がお題パネルを選択した時点で全団体は選手を1人だけ回答者として選出する。
※お題が出る前に決める
各選手は全8問中、1問~3問答える事が出来る。
1人が4問以上答える事や1問も答えない事は不可とする。
また同一選手が2問連続で答える事は出来ない。
調子の良い人、安定した受けを取って確実に得票が期待できる人を沢山選出する。当たれば爆笑が期待できる人を下剋上チャンスで大量得点するために温存する。逆に安定して面白い人を下剋上チャンスに出して他チームのノルマ達成を防ぐ。など、様々な作戦を取ることができる。
同点の場合
得点の合計数が1番多かった団体が3団体以上、もしくは2番目に多かった団体が2団体以上の場合は
「多くノルマを達成した方」が勝ち上がる。ノルマ達成数も同じ場合は「達成したノルマの合計人数が
多い方」が勝ち上がる。ノルマの合計人数も同じ場合は「サドンデス」となる。
※サドンデスの審査は審査員全員の合計票数

審査
 審査員は出場していない6団体が行う。審査員席は舞台前に用意される。
※審査員に選ばれたら席を移動
お題が終了した時点で最大24名全員が色札を上げ審査する。
その後、画面上の抽選で6名の審査員を選び、その6名が上げている色札が審査対象となる。
24名のなかから6名を選ぶので、審査対象によっては、全体では過半数の票を得ていたチームがノルマを達成できず得点を獲得できないことがある。
予戦、本戦共に同様の方法で審査を行う。)


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得点をそのまま獲得できる「親」の回と下剋上チャンスは取りたいというのが共通の認識だった。自分は画像お題に立候補。一問一答お題(3分間考える時間が与えられ、出せる回答は1つだけ)は熟考が有利に働きそう、他の人と違った切り口で回答を出せる、まな!さんが良いと思った。穴埋めお題にはキャラクターが有って限られた条件でも他との差別化が図れそうな田んぼマンさん。リズムお題はノリノリで何かをやっているイメージのない自分か愛嬌を感じさせられる田んぼマンさん。文章お題はよくやるジャンルなので誰でもいけるよう空けておく。100点のお題は6人中5人の票が必要なのでハマった時に大きく票を獲得できる人が良い。fromyohさんが適任ではないか。2回ある下剋上チャンスのうち1回も同じくfromyohさん。戦のルールと過去のお題を使って行われた練習会でfromyohさんは下剋上チャンスに挑戦し「6人中4人の票獲得」ノルマを達成、100点を取った。下剋上チャンスのもう1人と「親」の時に回答者として出る人は当日の調子や場の雰囲気を見て決める。相談や参加費の連絡のために参加したLINEグループが楽しい。田んぼマンさんのネットスラング(「ニキ」「ネキ」「でつ」を付けて喋るなど)や内容のない話(覚せい剤をしている人にぷよぷよさせたらめちゃくちゃ連鎖ができるのか[これはチームのメンバーも覚えていないと思うけれど])、音楽の話もした。自分は「迫田カップ」というサイトに投稿したり左手で文字を書いたりして練習。目立つ回答を出したかった。予定の12時を過ぎて予選が始まる。


「い」ブロック
悪答(オフィユカス、星野流人、ネイノー、アスワンハイダム)
禁じられた遊び(はちごーZ、上浦侑、紅松人生、根本販売員)
純豆腐の会(ひらたい、あのころ、ごうわん、いっぺぃ)
崩解 生(俺ロック、すり身、ヒト)
「N」とミシマ会(ゴハ、麿knee、ぱとらっこ)
ホシノ企画(木曜屋、ベンチウォーマー、らーゆ、人呼んで議長)


予選第一試合。自分たちは審査席のすぐ後ろに陣取って見ていた。悪党チームのネイノーさんが開口一番(?)100点お題を選択したこと、それから、ぱとらっこさんのストレートな面白さを見たことに刺激された。悪党、崩解 生チームが本戦に進出。

「ろ」ブロック
社会人大喜利集団 「ダイキリ」(Red、ノディ、まこと、Fuji)
大喜利鴨川杯(のりじゅ、かるあ、貯蓄アンドザシティ、Rice)
パンケーキ大喜利(fromyoh、まな!、田んぼマン、卵焼兄妹)
ペントヴォード(和壱郎、いしだ、橋本、キルヒホッフ)
オオギリクレイジー(不治ゲルゲ、ギャラ☆、村橋ステム)
解の会(ハッピーターン、二塁、店長)

自分の出番はリズムお題:(森進一のものまねで)こんな襟裳岬は岬じゃない。「灯台が8ある 7つは税金対策(襟裳岬のサビの節で)」「九州」「下がコンソメスープ(絵回答)」、画像の50:画像(甲子園の客席にいる球児のアップ。表情が固まっている。右下に作新学院の文字)。「リリーフカーの事故」「次の江川として耳の手術をしないといけない」の2回有って、その両方とも得点できなかった。6問が終了した時点で自チームは無得点。下剋上チャンスは誰が。黙っているとまな!さんが「1問目の気軽なうちに」と行ってくれた。お題は「こんなところに螺旋階段を置くな」。まな!さんは開始早々「富士山」「みんなが欲しがっている土地の真ん中」など会場を沸かせる回答を出す。チームの仲間がウケるのは気持ち良い。回答のおかしさと、その人がウケた嬉しさ。3答目?の「画家の前」は1日を通じてもっとも面白い回答と言う人も多かった。少し時間はあるがペンを置く。大丈夫だ、と思う。矛盾するようだが、味方ながら悔しくなるぐらい良かったので。審査対象6人のうち4人以上がまな!さんに票を入れた。ノルマ達成、100点が入り6チーム中1位に浮上。残りは下剋上チャンスが1問を残すのみ。仮に次の問題で抜かれても2位なのでこの段階で本選進出が決まった。チーム全員立ち上がって喜ぶ。シュッと声がして何かが当たるのを感じた。前に座るfromyohさんが振り上げた手が自分の顔に当たったのだった。興奮のせいか全然痛くない。気にせず手をたたき合った。泣いたり笑ったりといろんな反応が。後日聞くとまな!さんに下剋上チャンスで行くよう助言したのは田んぼマンさんで雰囲気が分からなくて躊躇した1問目も率先して出てくれた。fromyohさんもう回答者席に座っている。最終問題、2つ目の下剋上チャンスはペントヴォードチームが成功。パンケーキ大喜利とペントヴォードが本戦進出。

「は」ブロック
たさゴー本舗(ステイゴールド、鞘、田中一、IkorihaYimiran)
シャイニングドラゴンズ(かとじゅう、ふじこ、SASORIちゃん)
大喜利未来杯(やまおとこ、脳髄筋肉、ヒロム、ヒゲ王子)
わいわいチーム大喜利(あふろだんぺ~、宇多川ぱるる、きんしたまご、かわうそちゃん)
ひよこかけごはん(うっらい、スパムちゃん、いい、タミフルロケット)
TEPPAN(番茶が飲みたい、ジャスティスK、コウショウ、ゆとり教育世代)


本戦進出の興奮冷めやらぬまま審査員席に座る。「中流家庭チップスに入っていたら嬉しいカード」というお題での「チーズはどこへ消えた?の文庫本」「ポップが活躍するダイの大冒険」という回答が、ブックオフの棚が想起されて楽しかった。シャイニングドラゴンズチームかとじゅうさん。大喜利未来杯チームヒロムさんの「ロシア 政府 今宵の月」(「野球拳のリズム[アウト、セーフ、よよいのよい]で怖いことを言ってください」)も華麗。「ぎりぎり若い世代に伝わらなさそうな言葉」というお題でわいわいチーム大喜利のきんしたまごさんが出した「洗たく屋ケンちゃん」はボードを出しただけで会場が揺れるほどの爆笑。本当にぎりぎり伝わらない言葉だったな。ゆとり教育世代さんの「宝生舞」も面白かった。お題を思い出せないが、あふろだんぺ~さんの「ダブルドリブル」も好きだった。シャイニングドラゴンズ、TEPPANが本戦進出。

「に」ブロック
辺境会(仲人さんだー、蛇口捻流、オリーブ少女
少年っ!!!渋谷ネコ団!!(ストロボライト、波多野、そ~れ取って、文)
ザンギリ怪喜利(ポンコツさん太郎、笛ガム、あなたと同じ、本塁MAX)
大喜利ロケットランチャー(ヨロ昆布、こばっち、sami、空九)
over40大喜利山田ジャック、縛りやトーマス、ハナゲのおばちゃん)
福岡地獄大喜利〜虎〜(博士の生い立ち、虎猫、白魔道士、警備員)


客席で観覧。初見のover40大喜利チームのハナゲのおばちゃんの回答や佇まいを見ていて酸欠を起こすほど笑ってしまう。名前から想像したよりずっとおしゃれ。ストロボライトさんの「コンビニ寄ってから来る」(あだ名が「コンビニ」の野球部員の特徴」)がおもしろかった。波多野さんの描いたホームレスの絵が上手いのに笑う。辺境会、ザンギリ怪喜利が本戦進出。


悪答、崩解 生、ペントヴォード、パンケーキ大喜利、TEPPAN、シャイニングドラゴンズ、辺境会、ザンギリ怪喜利、の8チームが本戦に進出した。16:00頃~17:00頃まで1時間休憩。ファミリーマートへ行った。カゴメトマトジュースとファミチキを買って食べたが、まだおなかが空いている。中はもうおにぎりがない。少し離れたところにもう一店あるファミリーマートへ行って三ツ矢サイダーとおにぎりを2個購入、一服しクリエイトセンターに戻る。まな!さんが持って来たお菓子をいただく。5分ほど居眠り。17時20分頃に本戦が始まった。コカコーラをピロピロ飲みしてfromyohさんに突っ込みを入れられる。


(本戦 予戦を勝ち抜いた8団体を「東陣」と「西陣」の2ブロック、4団体に分け対戦する。
「い」ブロック1位、「ろ」ブロック2位、「は」ブロック1位、「に」ブロック2位が「東陣」ブロック。
悪答、パンケーキ大喜利、TEPPAN、ザンギリ怪喜利が「東陣」。
「い」ブロック2位、「ろ」ブロック1位、「は」ブロック2位、「に」ブロック1位が「西陣」ブロック。
崩解 生、ペントヴォード、シャイニングドラゴンズ、辺境会が「西陣」となる。
生き残り戦で各団体、「先鋒・次鋒・副将・大将」に分かれる。
※3人のところは誰か1人が2回兼任する
回答時間は3分間。
その後審査をし、投票で1番票の多かった団体が生き残り、他が次の選手に変わる。
以上を繰り返し、最終的に生き残った1団体が決勝へ進む。
本戦の審査員選出方法
本戦に出場していない16団体から運営がセレクトする。)



東陣:悪答、パンケーキ大喜利、TEPPAN、ザンギリ怪喜利
先鋒fromyoh・次鋒卵焼兄妹(私)・副将田んぼマン・大将まな!の順番に決めた。本戦のルール説明が終わって前に出て行くときに悪答チームのオフィユカスさんが転ぶ、何回も。多目的ホールの床は板張りでつるつるしているし、土足厳禁の上に靴下だから地面をうまく捉えられずキュキュキュキュキュキュと床が音を立てそのたびにおっおっおっおっおっおっと声を出す。なんか永遠みたい。ネイノーさんがそれを見て笑いながら突っ込みを入れている。
本戦ではお題選択なし。1つ目のお題は「ナルシストなラーメン屋の特徴」。先鋒のfromyohさんは「オレ専用募金箱」という回答などペースをつかんでいたように思う。ところが終了間際TEPPANチームのジャスティスKさん「よかれと思ってちんちんを丼ぶりにちょっと付ける」で勝負が分からなくなる。結果はTEPPANチームが勝ち残り。他チームの先鋒は下がり次鋒が出る。パンケーキ大喜利チームは自分。
2つ目のお題は「キリンが首が長くてよかった、と思った理由」。自分は「サイダーの喉ごしめっちゃ長く味わえる」「ビブラートがめっちゃ出る」「首が縦にいかないので嫌な提案を断りやすい」などと回答。過半数を獲得、自分が勝ち残る。1つ目のお題で勝ったTEPPANチームは次鋒のコウショウさんが出て他チームは副将。気づいたが、1回勝つことで他3チームの人を一気に減らすことができるのだ。あとで聞いた「大林素子のパンチラが見えた」という回答がすごい。ザンギリ怪喜利チームの笛ガムさん。
3つ目は画像。消防士が座って(やる気なさそう)消火活動をしている。太いホースが目立つ。「ミミズ焼いてたら火事になりました」「署長の家」などと回答した。TEPPANチームのコウショウさんが過半数の票を獲得して勝ち残り。自チームは副将の田んぼマンさん、他チームは大将。負けるとその時点で敗退。
4つ目のお題は「はいチーズ!よりも笑顔にさせる掛け声」みたいなお題。多くのチームはこれ以上負けが許されない。各チーム、矢継ぎ早に回答して迫力ある展開。田んぼマンさんが「8時だJ!」と言う。隙間を縫うような間抜けな回答。ヒロミがホイッスルを吹いてタッキーが跳び箱をする映像が頭に浮かんでしまった。結果はパンケーキ大喜利チームの勝利。パンケーキチームとTEPPANチーム以外は敗退。TEPPANチーム副将の番茶が飲みたいさんと田んぼマンさんとの1対1。
5つ目は「この人はヤリマンだなと思ったデートの待ち合わせ場所」。ハーフタイムショーみたいな展開。観戦するTEPPANチームのメンバーは番茶さんの回答が出るたびズコーッと倒れているし、パンケーキ大喜利チームも田んぼマンさんの回答が出るたび田んぼさんどうしたの?と困惑しつつ笑っている。回答を1つも思い出せない。混沌とした試合はTEPPANチームが勝利。パンケーキ大喜利チームは大将のまな!さん。
6つ目はお題「聴かなくなったCDでこんなことができる」。まな!さんテンポよく回答を重ねていく。それでいて1つ1つ面白い(「わらしべ長者式に交換して、最終的にエレカシのベストアルバムにする」が好きだった)。番茶さんさっきのお題に引きずられてというか、削られているように見えてくる。パンケーキ大喜利チームが勝ってTEPPAN大喜利チームの大将ゆとり教育世代さんとの最終戦
画像お題(中年の男と若者)。まな!さんの「今から郵便局の悪口言います」の回答が印象的。まな!さんの連勝でパンケーキ大喜利チームが決勝進出。

西陣崩解 生、ペントヴォード、シャイニングドラゴンズ、辺境会
「こたつを夏に売った」「腰の痛い人にマッサージチェアを担がせた」(伝説の家電店員カルタの「こ」)「[Alexandros](アレキサンドロス)みたいに[ゲートボール]に表記を変える」(ゲートボールを若者にも受けるようにしてください)「僕も同じ掃除機使ってます」(女の子が部屋でフラフープやってるYOUTUBE動画へのクソコメント)などの回答が印象的だった。ペントヴォードチームが決勝進出。ペントヴォードチームは3人なので決勝では大将として誰かが2回出る。


関西チーム(パンケーキ大喜利)と東京チーム(ペントヴォード)の決勝になった。決勝準備で再度休憩。白魔道士さんや、すかいどんさん、宇多川さんが声をかけてくれた。落ち着かず水を飲んだりトイレに行ったりした。ツイッターで話したことのある稚児大使佐伯眞魚さんを見つけたが、緊張してマラソン走者が沿道の人に挨拶するみたいになった。


(決勝は「東陣」と「西陣」から勝ち上がった2団体で行う。本戦と同じく生き残り戦。最終的に生き残った1団体が栄えある「最強大喜利団体」となる。


決勝:パンケーキ大喜利、ペントヴォード
パンケーキ大喜利チーム先鋒はfromyohさん。ペントヴォードチームは和壱郎さん。1問目お題「桃太郎の猿の、Twitterをフォローしたらこんな事をつぶやいていた」yohさんは「(水曜日のカンパネラの「桃太郎」の節で)モン キー ターン モンキー モンキー ターン」「キジに掴まって飛んでいる写真(絵回答)」など回答を出す。和壱郎さんは「きびだんごの袋に屁をこいた写真を載せて炎上した(絵回答)」で笑いを取っていた。和壱郎さんが取ってパンケーキ大喜利チームは次鋒の自分が出る。
2問目お題は「昔話『いいおっぱい 悪いおっぱい』の最後の一節」和壱郎さんの出した一答目「最後は手コキで抜きました」が受けていた。自分の方は「Hの語源になりました(絵回答)」「いいおっぱいはスジャータに、悪いおっぱいは奈美悦子になりました」「(めでたしめでたし、みたいなノリで)反ってら反ってら」「悪いおっぱいが乳がん検診施設に放火して、いいおっぱいが鎮火した(絵回答)」など。自チームが勝利してペントヴォードチームの次鋒いしださんが出てくる。
3問目は画像。チンパンジーがリードを持って犬を連れている。「ファインボーイズ」「(犬の台詞で)金属アレルギーやねん」「インコに雇われている」など出す。「リードを引っ張ると犬が開いて日傘になる」という回答を出していたのを後から知った。いしださんもっと見ておくべきだった。ペントヴォードチームが勝ち、パンケーキ大喜利チームの副将田んぼマンさんが登壇。
4問目「対戦相手の福山雅治より劣っているところをがんばって探してください」というお題。「いしださんはモンスターボール大の腫瘍がある」と田んぼマンさん。この回答を見て勝ちに行っているなと思った。パンケーキ大喜利チームが勝利して副将のキルヒホッフさんが出てくる。本戦でコウショウさん、決勝でいしださんに勝利した田んぼマンさん。
5問目が「こいつ、野球賭博をやってるんじゃないか」と思ったプロ野球選手の言動というお題。「グローブありがとう、2倍にして返すわ」というキルヒホッフさんの回答。田んぼマンさんの、野球賭博ゆるキャラ?みたいな回答も好きだった。キルヒホッフさんが勝利しパンケーキ大喜利チームは大将まな!さん。
6問目「あなたが街で桑田佳祐に間違えられた理由」。まな!さんが「そう願った」と1答目。キルヒホッフさんの「老人を3人食わせている」で会場が揺れた。キルヒホッフさんを初めて間近で見たのが純豆腐の会。「攻めすぎたananの企画」みたいなお題に「傾斜のあるホワイティ梅田でおしっこを流したらどこまで行くのか」と答えていてとんでもない人と記憶したのだけどそれを思い出す面白さだった。まな!さん「桑田佳祐はまな!に間違えられている」で応戦。自分の中は楽しさと無力感がごっちゃ。良い回答の応酬で票が割れたがキルヒホッフさんが勝利しペントヴォードチームの優勝が決まる。


100均のトイレに寄って打ち上げ会場に到着するのが遅れた。yohさんが席を取っておいてくれた。チームのメンバーとsamiさん白魔道士さん田中一さんたちと同席。ふじこさん(くら寿司のカラー辛いよ~)アスワンハイダムさんひらたいさん脳髄筋肉さんが喋っているのを見る。村橋ステムさんと話す。後半、酔った白魔道士さんが膝にビールを注いでいるのを見、笑う。詰まっている小便器で用を足しかけたのをうっらいさんに止めてもらう。靴が無かった(店員が靴箱に入れていた)のをのりじゅさんに見つけてもらう。ポカリを飲もうとしたら田んぼマンさんに止められる(酔った状態でポカリを飲むのは危ない)という思い出。JR茨木駅から電車に乗るとSASORIちゃんさんがいて自分の降りる岸辺まで2駅話した。内容:『紳竜の研究』、銀杏BOYZ、南ワギナ(ワッギーナ)。


朝起きて体がだるい。お腹は空いていて昨日買って食べなかったおこわのおにぎりを寝ころんだままカバンから出して仰向けに食べたら鶏肉が胸に詰まって苦しい。椅子にポカリがあり急いで飲んだ。クエン酸入り野菜生活0.2リットル ポカリスエット0.9リットル いろはす炭酸レモン0.5リットル 熱いお茶(水筒)0.5リットル コカコーラ0.5リットル トマトジュース(紙パック)0.2リットル 三ツ矢サイダー0.5リットル ジョッキ4杯(ビールウーロン茶シークァーサーサワー×2)0.5リットル×4=2リットル。合計したら1日の間に5リットル強飲んでいる。Clipboxでandymoriを聴いていると涙が出てきて次はもっと出すぞと思ってブルーハーツ流したらダウンロード不十分のため途中で止まってしまった。
大きな1日でした。

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中国の留学生

 
 朝は8時頃に目覚めて出勤、弁当箱に蜜柑の載っていることが巾着袋の上から分かった。ウォークマンをシャッフル再生にして聴き乍ら正雀駅まで歩いた。容量が2GBと少ないせいで、何がかかっても何かを思い出してしまう。
 
 上新庄駅で乗ってくる女の人を見ることは多分もうないと数日前から思っていたが、この日が来てしまった。リュックサックには天使の羽みたいのが付いている。それを背負って違和感のない女性が乗っていました。

 淡路駅で降りた。淡路ではフィリピン人か日本人か分からない女性とよくすれ違った。喋っているのを見たことがないのでどちらかわからないまま。今朝はすれ違わなかった。
 
 9時25分にタイムカードを押し掃除をする。普通にいつも通りに、と意識して動作をする。一人ひとりきちんと頭を下げて挨拶した。朝礼の時「礼が首だけになってない?」と言われてしまったが。

 昼休みにSさんからPARKERのペンを頂いて気が付いたが、お菓子とか言うこととか何も準備してきていない。

 午後からも大きい失敗はしなかったように思う。研修のSさんは16時頃に帰られた。17時になってタイムカードを押す。それから夙川・玉造・園田の人たちに電話を掛ける。園田は留守だった。届け出を3枚書いてから守口の人にも電話する、残念がってくれた。セロハンテープで貼った紙を剥がすと厚紙だったからか、バリバリバリバリと思った以上に音が出てしまって、誰の顔も見られなくなった。Aさんには、体に気を付けてくださいと言った。音楽の趣味が合って、以前BLURのコンサートに行かれた時はツアータオルを買ってきてくれた。パークライフかな、CD借りたこともあった。これからも音楽聴きますから、と言って階段を下りる。1階の紙も外す。押しピンで留めているので音は鳴らない。紙の四隅があった所に押しピンだけが残る。最後の出勤だった。

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 駅へまっすぐ行かず何となく脇道に入った。東宝淡路で『バケモノの子』がやっていたが、17時20分で上映が終わっていて観られなかった。自販機で濃いペプシを買おうとしたがボタンを押しそこなったのでオランジーナを買うことにする。飲みながら下新庄の方へ少し歩いてブックランド本の森という書店に入った。前(とはいっても1年以上前だが)見かけて買わなかったミラン・クンデラの本探すが見つからなかった。ハードカバーの『モモ』を買った。時間泥棒のやつ。500円。淡路駅に戻って19時半頃の電車に乗る。

 南千里駅で降りて、北大阪急行桃山台駅へ向かう。開運丸ラーメンという店に入って開運丸ラーメンとミニ開運丼セットを注文する。950円。スープを最後まで飲むと丼の底に「大吉」とか「小吉」とか書いてある。「大吉」の「士」の部分が消えて「大ロ」になっていた。

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 桃山台駅から千里中央駅までは90円で行くことができる。路線図に「90円」と2ケタの数字があるのが好きで、大した違いではないんだけど100円にならないでほしいな。喫茶店でメールの文面を考えようとしたのだがほとんど閉店しているか、開いていてもラストオーダーまでわずかな時間しかなかった。ベンチに座ってメールを送る。ポケットに携帯をしまいローソンに行く。水頭という名字の人がいて、「水頭さん」って呼ばれている光景を想像してしまった。水頭さんがechoとライターと携帯灰皿のレジを打つ。あとはどの店にも入らなかった。

 バス停で岸辺方面の時刻表を確認する。21時20分。道路を挟んで向こう側の自販機で水を買い、1000円札を崩した。バスの運賃が210円から240円になってから、乗車前に10円玉の数を確かめることが多くなった。「いま財布に40円入ってますか」って聞かれたら自信がない。40円。ベンチでたこ焼きを食べている女性がいて、ソースのいい匂いがする。食べてる時にだれか近づいてきたら嫌だろうなと思いつつ足がだるくて座る。端に、なるべく見ないようにする。

「あの、山田市民体育館へ行くバスはいつ頃来ますか。」
人間がほかにいないので横を見た。話し方で判断するに日本人ではなさそうだった。さっきも見たがもう一回行って時刻表を確認する。自分が乗るのと同じバスだ。
「21時20分が一番近い時間です。いま何時か分かりますか。」
携帯を見たくなくて異国から来た女性に時間を尋ねてしまった。iPhoneの時計を見せてもらう、20時56分だった。あと25分くらい。
「いま20時56分なので、もう少し、もう、しばらくはかかると思います。」
分の概念がわかるかどうか分からなくて言葉を濁してしまった。
「ありがとうございます。日本のバスは、分かりにくいです。」
「そうですね、日本人でも分からないときがあります。」
「……。」
「……。」

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「日本に来てから長いんですか。」
「1日前です。旅行では何回か来たのですが今は留学で来ました。」
「はあ(1日前という言葉をちゃんと聞き取れていない)。山田に住んでいるのですか。」
「はい今は。でも小野原に家を借りようと思って。」
小野原は知っている。小さい時同じマンションに住んでいた友達の、おばあちゃんの家が小野原だった。
「小野原というと、箕面市ですか。」
「はい!」
 
 ちがうバスが後ろを通った。行き先を確かめる。
「あ、あれはちがうバスです。」
「そうなんですか。」
箕面というと…どこの大学ですか。」
大阪大学です。」
「はあ!すごいですね。小野原にキャンパスがあるんですか。」
「いえ。大学の近くは、家賃が高いです。」
「……。」
 箕面市から吹田市にある大阪大学に通うには遠い気がする。交通費とかを考えると家賃が少しくらい高くても吹田市に住んだ方がよい気がするのだが。それとも留学生の寮とかがあるのだろうか。
「今日も小野原のほうに行ってきました。ミニミニは日本でいちばん有名ですか。礼金とかいれると高いですね。」
「はあ。」
「中国では礼金はないんです。」
 中国から来た人だった。ミニミニとかアパマンショップとかホームメイトとか、名前だけは知っているが何がどのように違うのかは全然。敷金礼金のこともよく分かっていない。
「あと2~3個あります。駅前とかに有名なところは大体あります。」
「ふうん。」
「あの……礼金とかは分からないです、一人暮らしをしたことがないから。」
「ふうん。」
「……。」
 知らないものになると笑うか黙るかになって役立たずが露呈するのを待つ。感情を見られなくて話し相手から顔を逸らしてしまう。嫌な時間が来たな、と思ったが女性は笑ってこちらを見ているだけだった。
「何の勉強をするんですか。言葉の勉強?」
「?」
「文学部とかですか。」
「ちがう、医学部です。」
大阪大学の医学部!すごいです。」
 医学部の知り合いはいない。間抜けな感想しか出てこなかった。
「留学の人はそんな難しくないです。」
「そうなんですか。何のお医者さんになるんですか。」

 女性は、ちがうちがう、と言うようにガソリンスタンドの店員がフロントガラスを拭くのと同じ動きをした。
「お医者さん、ならない。」
「そうなの!何になるのですか。」
「お医者さんじゃない、病気の研究。」
 
 ちがうバスが来た。次は顔だけでちがう感じを出す。
 医学部の人は医者になるものだと決めていたが、そうでもないらしい。患者の治療にあたるというより病気の治療法を研究したい。ガンの発生率を低下させたいって聞いた。そのためにガン研究の権威の研究室で大学院の勉強しながら研究生をしている。今日はがん細胞を培養する手伝いをしたらしい。日本人は腸、中国人は胃や肝臓、アメリカ・ヨーロッパの人は心臓の病気になりやすいという話も聞かせてもらった。彼女の話す内容や身振り手振りにはあきらかに熱があって、言いたいことが湧き出してくるようにみえた。

 乗るバスが来てしまった。女性はさっさと行って整理券を取らずに席に掛ける。整理券を取ってやり彼女の後ろに座って渡した。女性は、それどこで取るんですか、と聞いたあとで何回かせき込んでいた。そのあともコンコンいってのどぬ~るスプレーみたいのを吸っているので、持っていたクリスタルガイザーを前の席に突き出す。ぜんそく持ちだそうで、4月に症状が出やすいのを心配していた。少し黙った。

 LINEをしている。中国の大学を卒業してそのまま日本の大学院に入ったのだろうか。違う国に一人で暮らして、LINEをしている。

「失礼ですが、何歳ですか。」
「23歳です。」
 歳下だった。自分が23歳の時は、と思いかけてやめる。
「あ、ぼくは26歳です。日本に来て長いですか。」
「昨日。旅行では何回か来たんだけど。」
 同じことを聞いてしまった。会話に困らないくらい日本語がうまいのである。
「26歳、じゃあ学生じゃないですね、働いているんですね。」
「……。」
「日本の仕事はしんどいです。何時から何時までですか。」
「…日によりますけど9時半から5時くらい。」
「そうなんですか。」

 ……10分くらい乗っていると山田市民体育館が近づいてくる。一つ前の佃(つくだ)停留所でもかなり喋っている。乗り過ごさないか気になる。熱量を保ったまま話は日本のお店が同じ所に集中しすぎている、というところに差し掛かった。

「わたしが試験で茨木市に泊まった時、」
「あっ。」
「?」
「もう山田市民体育館前着く、と思います。」
 いま気付いたかのような物言いをする。
「本当だ。ありがとうございます。」
言って女は立った。
「このへんだったら、また会うかもしれないですね。」
「わたしは、明日、小野原に引っ越します。」
 これもすでに聞いた情報かもしれないが分かっていなかった。女は笑っていた。
「そうなの!」
 3拍くらいあった。
「じゃあね。」
「元気で。」
 阪急山田駅前で結構乗ってきたのでバスは混んでいたが、女性はずんずん降りて行った。10分くらい乗って山田南の、ライオンズマンションの前の停留所で降りた。

ヨーロッパの予備校生

 何回も作り笑いをしたけれども、本当に面白かったのは人のあとに入ったトイレが臭いことだけだった。探究国語総合(現代文・表現編)で高校の授業では読まなかった文章を読んだ。
 
美しい言葉とか正しい言葉とかいわれるが、単独に取り出して美しい言葉とか正しい言葉とかいうものはどこにもありはしない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしにせおってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。(大岡信『言葉の力』)

言葉の使い方に関心が出てきて、最近は誤った使い方を避けるよう心掛けている。違う時に「ので」「から」を言っていたり「まあ」「ねえ」をポーズ・フィラーのように使いまくっていた。使い方のあいまいな言葉は辞書で引いたりしています。「身も蓋もない」を根拠のないという意味合いで使っていた(正しくはあからさま過ぎるという意味)ことに気付いた。こうしたことですぐ結果が出るのかというと難しいが、習慣になってきたのでそのうちに言葉の使い方は良くなるものと考えている。 
その分というか、そのせいというか、使い方とは関係のない部分、声に出さない自分の言葉が悪くなった。
というより使い方では隠すことのできない考え方の汚さが明確になってきた。「つまらないつまらないつまらないことを言うな思うな」と家族を心の中で罵ることがある。「おじいさん」が「くそじじい」に変わってしまうことがあった。
人前で使う言葉と考えている自分の言葉との間にギャップがある。話すとき使わない言葉は、表に出ない自分を示している。それはほかの人に伝わっているかもしれないし、いないかもしれない。声に出していないのだから伝わるわけがないと思うのが普通である。ただ、声にしなくても伝わるものがあるというのは昔からよくいわれていることだし、たとえ伝わっていないにしろ、口にする言葉と口にしない言葉とが無関係だと言い切ってしまうことは誰にもできない。私の中にある言葉にならない言葉は何かを発している。それが汚いことが気になる。
私の場合、言葉が汚いのは生活のせいだ。

7月14日くらいに思っていたことです


人を警戒して遠ざけたい。干渉されるのがこわいと感じる。人の提案や助言を受け入れない。表面上ははいはい言ってるんだけどそれを実行に移すことは少ない。性格が素直でないのと、自分のことを人に話さなかったり感情表現がはっきりしないので、アドバイス・提案がうまくできないことが関係していると思う。
 から芯を食わない。誰も悪くない。
 今の楽しみはジュース。なるべく健康に良さそうな奴 今日はウェルチを初めて飲んだ
 女の人の腕を見ている時「俺には性欲がある」って思う。その後、「それは置いといて」とやるのだけど置いた性欲はどうなるんだ。
女を不潔な目で見てしまったと考えるのを防いでいた。
 風呂に行こうと誘われたのを断った。裸の付き合いをしたくない。人から何か頼まれるのが怖い。人から何か与えられるのは嫌だ。その分何か求められそうな気がする。与えることで求めようとするなよこっちが求めていないときに
わたし夕飯はソースカツ丼を食べよう
意図が怖い、。流されてしまうことが。次の意図を聞かされる その次のその次の意図
意図を着るのが嫌で聞こえないようにしている 意図はずっと待っている手を品を替え おれの意図を前蹴り
女を
属したくない最終的には。
友だちの家で遊んでいたらそいつの友だちが来た。ごめん今別の友だちと遊んでるからといったらじゃあお茶だけちょうだいと言いやがった。今もそういう人はいる
TSUTAYAの独特な有線
ダイアナ埠頭
痛さをterritorial pissingのようにぶつける
人の指が6本にみえたのが最近

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今と別のところに行きたい。できるという思いと無理だという思いが闘っていて、そこに伝えるのが怖くて億劫という思いが加勢してきて結局のところしない。これ以上やることがないのでできるかもしれない。生活を良くしていきたい。